『<内部被曝>県外原発で働く福島出身作業員から相次ぎ発見』
よくもまぁ色々出てくる訳だと思う。
本当に日本や福島を考えたとき、
風評被害に関してもっと表現の方法というものがあるのではないか。
僕が思うに日本には専門職以外から放射線に関してまともに話せる人はいないのではないか。
大体素人が手を出して簡単に理解できるものではないのだ。
だからこれだけのまったく訳のわからない意見が出てくるんだと思う。
単位もバラバラ、専門用語も滅茶苦茶。
最終的には「懸念する」等と投げる。
しかし、とても不思議に思うのは、
目に見えないとは言え、放射線は素人ですら簡単に量れてしまう事だ。
例えばウィルスが空気中の何処にあるかなんて簡単にはわからないと思うが、
放射性物質はμの値まで量れてしまう。
むしろ小さければ小さい程に量れてしまう印象だ。
例の『○○年草木が生えない』という文句。
例の『何億年も消えない』という文句。
さぁやってみるか。
先ず『○○年草木が生えない』
人が住めないと言う事だが、
そもそもこの言葉は広島・長崎原子爆弾から来ている。
少し勉強した人間ならすぐにわかると思うが、
原発と原子爆弾は全く違う。
比べる方も同じ文句を流用するのも間違っている。
メディアの一部も一時使っていたが、間違いをトップニュースに載せてしまうぐらいなのだから、まったく程度がしれている。
科学的な検証など一切皆無なのだ。
「どちらの被害が大きいか?」なんて自明の理。
一瞬の被害数、そして(爆心地から近隣の)疫学的にわかる長期的な被害数、
なにより差別を含めた風評被害を考えれば原子爆弾だと言える。
亡くなった人の数を考えれば、
今の原発被害状況を見れば比べるのがどれだけ悪徳なことかわかるのではないか。
比べるのをやめて今を見た時にこそ、個別の問題や方法が見えてくる。
ちなみに草木は一年後には生えていると何処にでも書いている。
次に『何億年も消えない』
人間が生まれたときに在った物は?
地球が誕生した時に在った物は?
ああ、神様の名前を出すなら話しはかわってくるので、
そこはないて欲しい。
僕はある人から話しを聞いて感動した覚えがある。
ある放射性物質の半減期を見ると人間や地球が誕生した時まで遡るというのだ。
単に半減期の長さだけを見て恐怖するのは間違っている。
半減期が長い事がイコール危険の高さではない。
むしろ短いものの方が危険度は高かったりする。
その単位をしっかり統一するべきだ。
長い物の単位と短い物の単位を別々に、あるいはごちゃ混ぜにして、
単にゼロの数だけで表すから不安や風評被害の原因になる。
重要なのは、どんな物質が溜まり易いか?取り込まれ易いか?どのぐらいの期間留まっているか?対する生物的な因果関係を考慮できるか?
そういった情報を判断の上話さなければいけない。
ところがそんな事が一般人にわかるだろうか?
わかるはずがないのでわかりやすく伝えなければいけないのに、
メディアでは放射性のヨウ素と無機ヨウ素の違いも話さない、
甲状腺の機能も説明しない、甲状腺に溜まり易い意味、
そしてチェルノブイリでは何故甲状腺に取り込んでしまったかという事も殆ど言っていない。
言っていたとしても甲状腺が何処にあるかもわからない人が多数だ。
食物連鎖による内部被曝。
しかし、食物連鎖があるにしろ、
その半減期を考えれば原因からも内部からもある程度の時間が経てば消えて行くのだ。
放射線は核の崩壊による放射能によって出る。
それは"崩壊"しているから出ているのであって、
何もただただ放射線を出している訳ではないのだ。
前にも書いた事だが、
チェルノブイリでは事故後の対応が全てに置いてずさんだった。
だから思うに、そういった食物連鎖すら食い止められなかっただろう。
遠方での被曝の原因はそこだと思われる。
しかし、それから今まではニュースにならない沢山の被曝事故がおきている。
約一年前にも被曝事故が起こった事をみんなは知っているのだろうか?
何も原発に限った事ではない。
色々な経験があるのだ。
その経験は僕らが生物として誕生した時からあるのだ。
だから僕らはずっと「人間は弱くない奇跡的な生物」と言っている。
まともに話せる人はいないが、
まともに安全なレベルを理解する事は可能だ。
しかしそれ以上の"小さな単位"は、
殆ど医療や技術の為に存在するのではと思う。
だからこそあそこまで細かく量れる必要があるのだ。
それは一般人には必要のない知識だ。
必要ないというより、理解できないのだ。
それで大騒ぎ小騒ぎ。
どうかしているんじゃないかと思う。
急性放射線障害やその後の障害についても区別もされていない。
種類や程度なんてのももちろんない。
しきい値なんて言葉もでてこない。
ないにも関わらず一緒にして「放射能」と言ってしまう。
そこは一緒なのに単位は別々にして被害の数を想像させようとする。
こんなので何がわかり、何がニュースと言えるのか?
やっぱりバカボンのパパの大学に入るのが正解なのだ。
最後に、
最近はセラフィールドが流行なのかな?
次の不安は『後世代障害』か。
しかし、
wikipediaの情報や誰でも何処でも手に入る本や映像の知識が全てだと思ったら多いに間違っている。
どう間違っているか。
本質はやはりしっかりとした"誰でも何処でも手に入らない知識"のみに存在する。
それらを理解しないで形に表す人間は馬鹿なのだ。
何故馬鹿かと言うとバカボンのパパの大学に入る事を拒否したからである。
拒否して不安や恐怖というフィルターでごまかす、あるいは知らないまま、表してしまうのだ。
だから解決策なんて作品の最後にはでてこないんだよね。
技術や知識に一般人が対抗する手だては、ある年齢になってしまえば難しい。
しかしバカボンのパパの大学はいつでも誰でも入れるのだ。
多数の知識の中それでも僕をバカボンのパパの大学に入れてくれたのはじいちゃんである。
「これでいいのだ」というネガティブに対する最大の哲学を教えてもらった。
本気になったら負けだ。
しかし本気にならなくていい場所やタイミングを間違えれば負けるどころか落ちてしまう。
結果的に暴力を届けるネガティブで面白くない彼らと一緒になってしまう。
そうならない為にはやっぱり努力が必要なのだ。
先を見る為の努力が。
人生をサバイブする為の努力が。
擁護すると彼らの影響で不安や機会を得た人間は馬鹿ではない。
大事なのはそれをきっかけにどんな行動をするかだ。
問題があるなら解決策は必ずある。
問題というのは解決からこぼれ落ちるものだと言う事を忘れてはいけない。
セラフィールドに関しては機会があればまた書いてみようかと思う。