2011年5月23日月曜日

自分の仕事はそういう仕事//不機嫌で無意味なイデオロギー

「自分の仕事はそういう仕事」
ある人が言っていた言葉。

インターネットには様々な事が書いてある。
心ない言葉、真実であれ、
「逃げなかった奴は5年後、10年後、癌で苦しむ事になる」
いいだろう。
でも、
僕らがあの日逃げれば目の前の人達はどうなったのだろう?
そして今福島市内で笑顔で活動している人達がいなくなったら、
残った人達はどこに笑顔をもらいに行けば、何処に愚痴を言いにいけるのだろう。

そんなネガティブの中、
一つの言葉があった。
関東も汚染されているという言葉に対する返答だ。
「結構だね。東北の為に頑張らなくちゃ行けない。結局、東北を助けるのは関東がメインだからね。癌で苦しんで死ぬさ」

死ぬ事の何が怖いのだろう。
あの時にとった行動、今とっている行動。
それは死と比べてそんなにも間違っている行動なのか。
死が何よりも悲しい物、辛い物と決めつけたのは誰だろう。
逃げて使命を投げ出す事は果たして正しいのか。

今まで、
死ぬ事も生きる事にも何の意義も意味も持たなかった。
ある人達は国の為に死んで行った。
肯定や否定以前に、
僕は目的を持った生や死が羨ましく思う事があった。
誰かの為に生き、誰かの為に死ぬ。
言葉だけじゃなく、僕ら東日本の人間は今それを体現している。
(気付いていてもそうじゃなくとも)
ただ写真を撮る事、ただお店を開ける事。
それが生死とイコールになっている。

現場の人から「やってやろう!」とメールが来た。
何を?
わからないけど、
今は全ての行動が「やってやろう!」だ。

二ヶ月。
国も企業もメディアもバラバラだ。
でもそれはそれだけを見ているから。
それだけを日本と呼ぶから。
身の回りや、土地を見れば、一人一人が繋がっている事に気付く。
団結をしなくても、ここにいるという個人は変わらない。
誰に指図されなくとも、誰に教えられなくても、
僕らは既に生きている。

何も、誰も信じられないなら日本の土地を信じよう。
僕ら日本人は古くはそういう民俗だった。
国の前にその為に生きて死んだ。
その土地の名残りを田畑や海や山々にみつけに行こう。
何故自然に触れると気分が良くなるのか?
答えは僕らが帰るところにある。