Dear Friend-Fukushima
前略失礼します
わたしは震災以前から福島市に在住しています
最近わたしの周囲では
「不安」
という言葉や
「ここで頑張るしかないんだ」
という声が多く聞こえてきます
これらの前後には
「放射線が/放射線があるけど」
という言葉がつきます
わたしにはそれらがどうしても腑に落ちません
この気持ちを説明し尽くせないのですが
なんというか
いいわけくさいのです
きっと震災以前にも
なんらかの「不安」はみんな抱いていたはずです
仕事や生活、対人関係など
わたしも例外ではありません
「現代は不安の時代」
というように
「不安」は既にあったのです
日本における年間の自殺者数は10年連続で3万人を越えています
いかに現在が「不安の時代」かを象徴しています
この度の原発事故により
福島市民は前から存在していた「不安」を
「放射線」というものを盾にし
その「不安」を隠し
または改めて言いなおしているように思えるのです
それを市民どうし言い合うことで
慰め合っているといいますか...
言い過ぎかも知れませんが
この種の「不安」もひとつなるのは
どうしても避けて欲しいのです
だって
それぞれが立ち向かわなければいけない
「不安」
だったはずだから
福島市における放射線量が
どんなものかは調べればすぐにわかります
いつまでもビクビクするようなことでも
ましてや泣くようなことでもありません
原発よりも先に落ち着いて欲しい人が沢山います
というか
このままでは原発が落ち着いた時に
やってくる虚無に耐えきれないと思うのです
わたしは
震災以前の不安を感じることはありません
それはライフラインが断たれたことや
いまなお生活が困窮している友人や亡くなった知人などが
わたしを救ってくれたからです
誰かに不安を与えないためにも
前にもましてしっかり生きていくつもりです
From one of Fukushima citizen
Mさんからのメッセージ