小学校5年生の時、
知的障害者のY君をまぜて仲間と遊んでいると
突然担任のおじさんS先生がやってきて、
Y君を残し一人残らずぶっ飛ばされた。
僕らが地べたからY君を見上げるとY君は手を差し伸べて「大丈夫?」と言ってくれた。
僕らは泣いて、そしてY君が嫌がっていた事に気付いた。
同じ頃、
トイレ掃除が「何故女子と別れるか」について不思議がっていると、
S先生は放課後クラスの男子全員を校庭に連れて行き(Y君も)、
死ぬ程走らせて、
その後おばちゃん先生がいる保健室でS先生の「卑猥列伝」を聞かされた。
もちろん疲れているので話し何て頭に入らなかった。
S先生がいなくなり。
保健室のおばちゃん先生は優しい笑顔で言った。
「疲れたでしょ?」
それから僕らはトイレに対するそういう態度を改めて、
本屋やゴミ捨て場の大人の本に群り、
女子に軽蔑されては、なんとなく意味がわかった気がした。
20歳の同窓会の時、
同じクラスだった女子は言った。
「あの時私たち男子が凄く気持ち悪かった。だけどなんで男のS先生にそれを相談しに行ったのかわからないのよねぇ・・・」
S先生は原子爆弾や戦争の話しも沢山してくれた。
怖い話しがだんだん面白い話しになり、
最終的には僕らに選択の余地を残した。
何が悪いというより、子供がわかる正しさを教えてくれた。
授業の最後は子供会議。
だけど僕らは子供にして、
ただ単純に原子爆弾や戦争が悪いなんて簡単には言わなかった。
ある日そんなS先生の行動が問題になり、
先生は窮地に追いやられた。
暴力教師とのレッテルだった。
だけど驚いたのはその先生を暴力教師と始めに言ったのは他のクラスの親だった。
集まった大人も他のクラスの親だけだった。
「子供を守る。正しい教育を」その言葉を言った中心人物を今でも覚えている。
僕らがS先生を恨んだ事は一度としてない。
悪口は散々言ったがそれは恨むのとは違う。
だから僕らだけで先生を守ろうと署名をしてそれぞれが校長室に持って行った。
親等は関係ない。
それは僕らの選択と自立だった。
その行動が一番正しいと思ったからだ。
先生は助かったが何処か傷ついている様子で、
僕らが卒業すると同時に先生を辞めてしまった。
それでも卒業のその日まで変わらない態度を貫いてくれた。
卒業の日に先生は号泣しながら「少年よ大使を抱け」と言った。
誰が言った言葉かその時は知らなかったが、
僕らは冒険に旅立つ様な威勢の良い気持ちになった。
特に悪い事ばかりしていた僕らが先生の荷物の片付けを手伝う事になり、
そのお礼にと先生はラーメンをごちそうしてくれた。
その時に先生は「お前等は不良になる。タバコ吸ってパーマかけてバイクでも乗るんだろう。事故にだけはきおつけろよ」と言った。
その後の僕らは不良との付き合いはあったが、不良にはならなかったし、勿論タバコもパーマもバイクにも(自分からは)乗らなかった。
そして人を殺す事もなかった。
後から聞いた事だが、
校長先生に署名を持って行った最後の人は、
Y君だったと言う。
僕らはてっきり誰かに書いてもらったものと思っていた。
何を書いたかはわからない。
先生は僕らが大人になってふと出会ったその時までそれを黙っていた。
先生とはその通り一年に一回は畑やスーパーで会う。
「何をしているか」なんて聞かず、
薄さを通り越した頭を僕らに見せびらかすのだ。
そして「ありがとうな」といつまでも言っているのだ。
写真投稿Cさん
頂いた写真を見たら何故か先生を思い出してしまいました。
ありがとうございます。