2011年5月5日木曜日

居合い切りのバードシューター

写真の先生に「もっと人を撮れ」と言われた事がある。
今の時代に人を撮るのは難しい。
難しいんだけど、
もっと難しいのは相手を自分の距離に入れる事。
そこにはコミュニケーションの妙がある。
僕の現在の距離は75㎜あたり。
けれど彼の達人や先生の様に35〜50mmまで寄って行ける様に精進したい。
入れる事、寄る事、
反し合う様で、
カメラをやっていると人との距離やコミュニケーションについて学ぶ事ができる。
写真にそれが表れた瞬間と言ったら、
もう言葉にできない。
表情、動き、
なんて瞬間なんだとその人が赤の他人でも友達の様に思えてしまうのだ。

先日東京丸の内にて友人を横にスナップをしていると
友人が言った「ファインダー見ないで何レンズ触ってんの?」
僕は気付かなかったが、
どうも目に入る物に合わせぐるぐるやっていた。
完全に癖になっている様だった。
なんとなく自分の距離という物ができつつあって、
今怖いのはそれが癖になって距離に依存してしまわないか・・・。
そう、僕は女性にも依存してまうところがあるのだ・・・バカヤロウ!
と突っ込んでもらいたい。
まだまだ若いので多くのレンズを試せないのは不幸である。

彼の達人は『スナップは居合い切り』と言っていたらしい。
僕はカッコいいなと思うけれど良くわからなかった。
しかし先日撮れた一枚の写真でその言葉がよみがえる。
そして思った。
『75㎜は居合い切りバードシューター』
その時の事を考えると自分はやっぱりレンズをぐるぐるとやっていた。
そして勿論ファインダーは覗かず、
居合いの如くカメラを動かし鳥に向かってシャッターをきった。
まさに侍と狩人のコラボレーション。
その後僕は鳥の尻ばかりを追いかけていた・・・。

なんとなく、
なんとなく動物は行ける様になってきたのかもしれない。
ところが人間となると同じ方法でも壁がある。
しかも先ず目標は50㎜だ。
そればっかりは経験を積み重ねて行くしかない。
色々な人と話し、色々なところへ行くのだ。
それが一番の修行。
服装も大事だ。
それこそまるでカメラマンな格好なら、
居合い切りで背中の三脚がふっ飛んで行くに違いない。
しかし最高にCoolな服装で背中の粋が飛んだ時は、
渋谷の坂を上がった夜のお城まで一直線である。

そういいながら今回の写真は。
裸でしかも感情がないと来た。
裸で感情がないのはある種の場所では最悪のパターンである。
失敬。
銅像を相手に居合い切りはできない。
考えただけで恥ずかしくなる。
せいぜいバードシューターに集中するばかりだ。
しかし、
止まっている物を撮る時は自分自身を見る事になる。
それもまたもや妙があるのだ。

このブログを見てカメラに興味を持った方がいたら嬉しい。
「写真まで撮れちゃうんだよ!」
先生の落ちである。
そう、人とコミュニュケーションがとれて、
尚かつ己まで知る事ができる。
それで写真まで撮れちゃうんだよ?
記録できちゃうんだよ?
芸術はそれからで宜しい。
ギターやペンで自殺はできるけどカメラじゃ無理だから。
先ずは・・・、
GRデジタルとMacbook Airを選んでみよう。
カメラの面白さ、難しさ、
僕は色々触りつつあるけれど今でもGRの良さにはまる事がある。
それぐらい良いカメラ。
Macbook Airは美しいから。
美しいからそれで作業するだけでアーティスト感覚が味わえる。
そういうのって大事です。
お金がない?
じゃあ携帯で撮ってFriend Fukushimaに送ってみよう。
何気ない写真でも結構自分っていうのは出るもんだよ?
フィルムがやりたい?
お勧めしません。
自分に対する言い訳の連続にあなたが堪えれるか・・・。

まだまだ僕らは色々なところへ行きます。
今回は国見でした。
それぞれの土地にそれぞれの人。
国見、国見の人達。
また色々なところ撮らせてください。
国見で居合い切りバードシューター。
ツバメ返しをされる前に。
ありがとう!

動画も是非!