2011年5月2日月曜日

アメリカ南部の竜巻に

竜巻に地震に津波。
自然の力で大勢の人が亡くなってしまう。
なのにどうして戦争などで人を大勢殺す必要があるのだろう。
何故にこれほど原発に怯える必要があるのだろう。

自然の力は人の手ではどうにもならない。
けれど原発は段階はあれど、どんな場合でも人の手がどうにかする。

アメリカ南部の竜巻の死者数は350人を超えるという。
計り知れない力だ。
僕がその竜巻を想像するとき、
あの地震を思い出してしまう。
自然の驚異を共通に思い出せるという事は、
同じ様に思い合えるという事だ。
そこには死者の数や被害の規模などは関係ない。
まぁ海外はそこで飛ばしジョークを言ってしまえるんだから、
大したもんだけど。

原発が自動停止し冷却が進んでいるというのは、
僕らにとってどこか聞き慣れた言葉だ。
だから不安などはない。
僕らのは一応では最悪の段階なのだしね。
経過は経験している。
けれど同じ時期に起こった自然災害がもたらす
枝分かれの脅威から何を学び、何を知れるか。
それができるかどうかには日本も含めて不安だ。

今日の朝そのニュースを見るばあちゃんは神妙な顔をしていた。
一つ、経験が繋げる思いという物だ。
人は人を思いやる事ができる。
時に酷いジョークで煽る事もあるけれど、
自国に起きてみれば、大体は同じ気持ちである。
やはり寛大な気持ちで、そして自分たちもそれぐらいの態度で、
少しは主張しないと。
今の様な借り物の個人主義じゃなくて、
もっと日本人に合うやり方で。

自然はどこにでもある。
だからどこにいたって起こる物は起こる。
原発への恐怖ばかりだが本当に怖いのは自然だ。
でも、自然の脅威は世界中の人が一つの目標を持った時、
恩恵に変わると思う。
これだけの経験。
何か方法はあるはずだ。
戦争なんて止めてほしいよ。
種類はあれど、
今このときは何もかもが終わってからにしてほしい。
子供みたいな言い分を
今こそ聞き入れてもらえないか。