自然の力で大勢の人が亡くなってしまう。
なのにどうして戦争などで人を大勢殺す必要があるのだろう。
何故にこれほど原発に怯える必要があるのだろう。
自然の力は人の手ではどうにもならない。
けれど原発は段階はあれど、どんな場合でも人の手がどうにかする。
アメリカ南部の竜巻の死者数は350人を超えるという。
計り知れない力だ。
僕がその竜巻を想像するとき、
あの地震を思い出してしまう。
自然の驚異を共通に思い出せるという事は、
同じ様に思い合えるという事だ。
そこには死者の数や被害の規模などは関係ない。
まぁ海外はそこで飛ばしジョークを言ってしまえるんだから、
大したもんだけど。
原発が自動停止し冷却が進んでいるというのは、
僕らにとってどこか聞き慣れた言葉だ。
だから不安などはない。
僕らのは一応では最悪の段階なのだしね。
経過は経験している。
けれど同じ時期に起こった自然災害がもたらす
枝分かれの脅威から何を学び、何を知れるか。
それができるかどうかには日本も含めて不安だ。
今日の朝そのニュースを見るばあちゃんは神妙な顔をしていた。
一つ、経験が繋げる思いという物だ。
人は人を思いやる事ができる。
時に酷いジョークで煽る事もあるけれど、
自国に起きてみれば、大体は同じ気持ちである。
やはり寛大な気持ちで、そして自分たちもそれぐらいの態度で、
少しは主張しないと。
今の様な借り物の個人主義じゃなくて、
もっと日本人に合うやり方で。
自然はどこにでもある。
だからどこにいたって起こる物は起こる。
原発への恐怖ばかりだが本当に怖いのは自然だ。
でも、自然の脅威は世界中の人が一つの目標を持った時、
恩恵に変わると思う。
これだけの経験。
何か方法はあるはずだ。
戦争なんて止めてほしいよ。
種類はあれど、今このときは何もかもが終わってからにしてほしい。
子供みたいな言い分を
今こそ聞き入れてもらえないか。