2011年4月6日水曜日

The Weight

バンドの『The Weight』を初めて聴いた時、
僕は子供だったが、それでも、
田舎道や田んぼや畑の足跡が強く心に浮かんだ。

僕らは良く田んぼで遊んだし、学んだ。
だから農業がどれだけ大変かを知っている。
大変だけどそれを超える楽しさや嬉しさがあるのも知ってる。
夏休み早起きして田んぼに出かける。
僕の記憶では雨何てまったく降らなかった。
農作業のあとの食事は死ぬ程おいしい。
地震の後の初めての食事と同じぐらいおいしい。
秋になるとクシャクシャとシャリシャリと鳴る
落ちている稲を踏みながら虫を追いかけた。
このブログを一緒にやっているKenjiの一人とも
幾度となく田んぼの横を自転車で走っては映画の話しをした。
夏の夜になるともの凄い数のカエルの鳴き声がする。
田んぼのイメージはそれぞれだと思うけれど、
夏の夜の田んぼ程涼しい所はないと思う。
イメージがあって、
僕にはあの夏の夜に起きた全ての出来事が遠くで見るお祭りの影みたいに
今でも謎に満ち満ちている。

僕は震災以降一度だけ号泣してしまった事がある。
朝作物への放射能汚染のニュースが流れた日。
写真を撮りに田んぼを通りがかると
じいさんが耕耘機でこれから来る田植えに向けて作業をしていた。
僕はとてもそこに立っていられなくなった。
『大丈夫』という全ての学者先生やそれを聞いて安心する人間、
ただただ不安になる人間を心から憎んだ。
憎んだけれどやはりそれはいけない事だと、
帰って隣からもらったいつものほうれん草を食いながら情けない気持ちになった。

だけど僕は、
今は大変かもしれないけど、
きっとここ福島から新しい技術が生まれてくると確信している。
農家は頭がいい。
いつか東京駅で道案内をしたヨーロッパからきた外国人は福島へ行くと言って
僕に農業のプランについて話してくれた。
まるで農家な人が彼を迎えにきて、その二人の距離は巨人と小人だったけれど
そこには大地にかける絆や覚悟が見えた。
事故以降、
ある農家の元へ海外や日本全国から「これからの方法」についてメールが来たとばあちゃんからきいた。テレビでは嘆く農家しか映さないがそれだけじゃない。
最高の技術と前向きな姿勢は土木だけじゃない。
僕が思う世界が手にする新たな発明は家畜や水産を含めた農業だと思う。
それはスティーブジョブスの四角い箱でも丸い宇宙でもない。
新しい農業の技術はひと時の間世界を美しいものへ変えると思う。

古代ローマの詩人ウェルギリウスは『農耕詩』という農家を讃える詩を書いた。
そしてゴダールの『Weekend』には豚の頭をかち割るシーンがある。
それらを見て自分が育った場所がとてつもない所だと思った事がある。
自然における人間の重さと喜びに気付いた。
ここで学んだ事が何より人間の基本だった何て、僕は体現していたのに。
今でも福島が好きかはわからない。
「それが好きと言う事なんだよ」と言われるが認めるつもりはない。
帰る場所がない人間に、帰る場所があって、尚認めない贅沢をジジイになるまで繰り返して大騒ぎしてから認める事にしようと思う。

Take a load off Fanny,
Take a load for free,
And you can put the load right on me.

大地を歩いた重さと、大地に手を入れる重さと、人が背負う重さと
人の重さと、そしてそれをわけあえる喜び。

僕の母はいつも言っていた。
「福島で良かったね」と。
ああ変わらない。
僕は一生をかけてでも、
あの時に見たじいさん達を最高の未来へ連れて行くつもりだ。