2013年4月11日木曜日

2年と1ヶ月、本当にありがとうございました

この写真の警報を知る事もなく現実に投げ出された僕らが見たものは
写真と言葉
このブログFriend Fukushimaの全てである

今日から2年と1ヶ月前の14時46分
僕らの生活は一変した
沢山の人が亡くなり沢山の人が悲しみ怒り泣いた
その全ての人に僕らは気持ち一つで捧げようと思った
その全ての人は東北に、福島に、僕らの故郷にいた
僕らもその一人だった

このブログに関わった全ての人へ感謝したい

あの日々勇気づけてくれた人たちへ
「まだ伝えられる誰かがいる」
それは希望であったとともにFriend Fukushima発足のきっかけだった
ぼくらはまずあなた達に伝える事から始めた

このブログを偶然にも知って見てくれていた人たちへ
「誰かが見てくれている」
一方通行のこのブログ
アクセスカウンターの動きに僕らはいつも助けられていた
誰でもない僕らを発見するのは、誰でもないあなたを発見するのと同じである
それは僕らが伝えたかった一つでもある

そして様々な事情で離れる事になったkenjiたち
投稿という形で関わった一時のkenjiたち
このブログを広めるために尽力してくれた友人たち
僕も僕らも、良しとした時にFriend Fukushimaを再開しようじゃないか
その日は何時やってくるのかわからない
けれど「気持ち一つ」
また背負える日が来る事を願う
みんな一生懸命だった
今日までともに更新して来れた事をとても誇りに思う
ありがとう

次の更新があるまで
このブログのトップにはいつもこの写真が待っている
このブログを発見した人へ
この投稿から
僕らの歩いて来た日々と見て来たものを巡ってみて欲しい
それはたぶん特別な場合を除いて
今日のあなたの故郷と変わらなく愛しいものだから
福島も東北も傷の回復まではまだまだ長い
これからも宜しくお願いします


それでは
2年と1ヶ月
本当にありがとうございました

kenji一同

平石付近3

平石付近2

平石付近1

森合付近16

開花

鯉のぼりと城山の春

2013年4月10日水曜日

ちょっと歩いて福島市内へ22(終)

「36枚撮りではとても足りない」
宮下町でフィルムカウンターを見てそんな風に思った
すぐ近くへ行けばフィルムは売っているし
時間も天気もまだまだ余裕がある
色々実験したくもなってきた
暫くどうしようか迷って、やめた
それでは終わりがなくなってしまう

最後の撮影場所は最初から決めていた
それは県庁の裏の阿武隈川である
撮りたい風景があった
しかしここに来た時点で残りのフィルムは3枚
結局目標としていた風景を撮る前に巻き上げレバーは動かなくなった
格好付けようったって無駄だったのである

明日でFriend Fukushimaは休止する
悔いのないように外へ出たはずが今ひとつな盛り上がりになってしまった
そういえば友人が言っていた
二年ではなく二年一ヶ月で休止することに対し「それもらしいね」と
そしてそのあと「らしく、続けちゃえば?」と
そうしたいのは山々だがやはり無理である
写真を現像してそれは明らかだった
36枚で足りないと言いながら
この「らしさ」にも様々なkenjiの視点が必要なのである

今日の企画をFriend Fukushimaの二年一ヶ月に捧げたい
集大成のつもりもなにもなく始めた企画だったが
なんとかやりきれた気持ちではいる
見ている方にも何か気持ちのようなものが伝わればと思う

何度でも言おう
カメラ片手に福島を歩いてみて欲しい
36枚撮りではとても足りない徴で福島は溢れているから

ちょっと歩いて福島市内へ21


ちょっと歩いて福島市内へ20

ちょっと歩いて福島市内へ19

宮下町からぐるっとUターンをして県庁前へ

ちょっと歩いて福島市内へ18

ついでに宮下町
前よりも空が広くなった気がした

ところで
ジムは来なかったがヴェンダースは来た
僕らは気付かず写真を撮っていた

ちょっと歩いて福島市内へ17

そう、新浜町の新浜公園

ちょっと歩いて福島市内へ16

このへんで切り上げ移動しようかと思った瞬間
忘れちゃいけない場所を思い出しだ

ちょっと歩いて福島市内へ15

新町
僕がこの地区を撮影するのは初めてかも知れない

ちょっと歩いて福島市内へ14

桜を見上げて
今日の予報は曇りのち雨
しかしまだ大丈夫

ちょっと歩いて福島市内へ13

ちょっと歩いて福島市内へ12

ちょっと歩いて福島市内へ11

ちょっと歩いて福島市内へ10

ちょっと歩いて福島市内へ9

ちょっと歩いて福島市内へ8

ちょっと歩いて福島市内へ7

市街へ来たのは久しぶり
ちょっと来ない間に風景は変わっていた
とは言え、この通りは店が良く変わる

ちょっと歩いて福島市内へ6

中合ツイン広場
そして福島駅を背に市街のメインストリート

何度も書いているが
2011年3月、あの日から数日後...
ここでkenjiと待ち合わせをしたのがFriend Fukushimaきっかけの一つ
今日も人がいない様に見えるが、それは僕の写真の腕のせい

ちょっと歩いて福島市内へ5

ちょっと歩いて福島市内へ4

ちょっと歩いて福島市内へ3

ちょっと歩いて福島市内へ2

スタートは八木田橋
この橋は車や風でよく揺れるのである
左奥にうつるのは我らが信夫山

このレンズをフィルムカメラで使うのは二度目
ファインダーの先に広がる世界は予測不能

ちょっと歩いて福島市内へ

「このまま終わらせる訳にはいかない」
そんな思いから
フィルムカメラに使い慣れない画角のレンズをつけて市内へ出た
ここは福島市福島駅
人の賑わいをよそに
少しばかり感傷に浸りながら二年前の記憶を歩いた

Friend Fukushima恒例企画
『ちょっとそこまで & FF in F 』
少しではありますがよろしくどうぞ

2013年4月9日火曜日

Fukushima City at Night 92

夏の予感を少年の記憶の中に

写真は去年の夏
あの暑い夏の冒険の記憶が蘇る

2013年4月8日月曜日

2013年 桜

日本列島に到来した爆弾低気圧
幸運にも満開一歩手前のタイミングで福島市内を過ぎそうである
桜が咲いた途端の強風の年もあるが
今年は強風の後に満開になりそう

2013年4月7日日曜日

休止の理由

Friend Fukushimaの中心は2013年3月の時点で二人
そしてときに中心二人の友人知人もkenjiとして投稿をしていた
しかし投稿『離脱』にある様に
中心の一人であるkenjiがこのブログを離脱することになった
もう一人のkenjiが中心になり新たなkenjiや友人知人と続ける事も考えた
しかしこのブログを一人で背負う事も新たな誰かに任せる事もできなかった
今まで通り続ける為に沢山のことを考えたが難しかった
「一人では無理だ」
それがFriend Fukushima休止の大きな理由である

当初僕らはブログ自体は残し更新を永遠に止め
それによってFriend Fukushimaを完全に終わらせるつもりだった
けれど続けて来た二年間の日々に何かが引っかかり、決断することができなかった
悩んだ末に出た答えは
「いったんブログを休止し、相応の覚悟を持って不定期更新とする」であった
今まで関わって来たkenjiたちも離脱したkenjiも
それが最良の決断であると納得してくれた

僕らは「気持ち一つ」でFriend Fukushimaを続けて来た
それをただひたすら続ける事ができたのは
あの震災から始まった記録とあの日々への思いと
見てくれている人達がいたからだ
ブログを見てくれていた人達にあらためてお詫びと感謝をしたい
このブログも残す所あと4日
精一杯の更新をしていきたいと思う

2013年4月6日土曜日

鎌田13

2013年4月5日金曜日

大森城山 2013春

県内には花見の名所と言われる山がある
その一つ...に数えられるか分からないがこの大森城山も桜が綺麗
もう暫くするとこの山もピンクに染まることだろう

2013年4月4日木曜日

2013年4月3日水曜日

2013年4月2日火曜日

鎌田12

2013年4月1日月曜日

うっすらと吾妻山

気持ちのいい空の下に吾妻山が目に入る
いつものことだが、意識して眺めてみると
あらためて大きな存在感を感じるのだ