2012年3月31日土曜日

2012年3月30日金曜日

2012年3月29日木曜日

2012年3月28日水曜日

2012年3月27日火曜日

2012年3月26日月曜日

2012年3月24日土曜日

2012年3月23日金曜日

「やあ!」

メキシコの詩人オクタビオ・パスに
「夜明け」と題された作品がある
ーーーー「冷たくてすばやい手が
闇の包帯を
ひとつずつほどく
ぼくは眼をひらく
それでも
ぼくは生きている
まだ生々しい傷の
中心」ーーーー

まだ生々しい傷の中心!

それにひきかえ
すり傷の皮の剥け方まで下手くそなオデキの国で
おれたち(?)「腐敗の原料」どもが
御祖(みおや)直伝の金壺マナコで
不意の〈アレレ!〉の時にだけ
泡をくらって探しはじめる「遠〜いぃもの」たち・・・・たぶん
余りにも近くにあるため見えないものら
とのかかわりあいで
いったい何奴がその種の「原料」から
どの程度けち臭い距離を置けるであろうか?

これについての長楕円軌道的な云い方をしておくならば
川の流れに足を浸したヘラクレイトスか
樽のなかの哲学者ディオゲネスが
・・・・そして誰よりも安藤昌益が・・・・
自然が自然にそれとなく戻ったときに
「やあ!」と挨拶する

////////////////////////////////
(註)「腐敗の原料」:『カラマゾフの兄弟』のなかの「人間は腐敗の原料です」
というゾシマ長老の言葉。

言葉Y先生、写真K

2012年3月22日木曜日

2012年3月21日水曜日

2012年3月20日火曜日

2012年3月19日月曜日

2012年3月18日日曜日

2012年3月17日土曜日

2012年3月16日金曜日

2012年3月15日木曜日

2012年3月14日水曜日

2012年3月13日火曜日

2012年3月10日土曜日

「共通の場所」

ランダムなものの更なる効果は
意味論的には散乱の限りをつくした
『シナの或る百科事典』の「動物の分類表」に驚き入って
ミシェル・フーコーがやおら名づけた
「混在郷(エテオロトピー)」が引き起こす「不安」だけではない。
それはさらには
目的を破壊することが私の目的だ
と宣言していた現代音楽のジョン・ケージの
音と音との関係の非組織化の試みや、
ロラン・バルトの『恋愛のディスクール・断章』での
各章標題の頭文字のA.B.C順の配列などにも見られるように、
〈紋切り型(lieu commun=共通の場所)〉という
したたかに根深いものの後ろ姿に
それとなく貼りつきながら
覚えのない子を孕ませるところにもある。

それとなく貼りつきながら?

というのも、
作家カミュが『ペスト』のなかで、
主人公の医師リューに「抽象と戦うためには、
その抽象に幾分か似る必要がある」と語らせていたように、
〈共通の場所〉に貼りつくためには
それらに幾らか似ている必要もあるだろうから、
・・・・・つまりデリダが語った
戦略的なわずかの「襞(plis)」の差で、
あるいは、
マルセル・デュシャンの唱えていた、
まるで本物(元唄)同然の
差異の超薄状態(アンフラマンス)で。

まるで本物同然の?

なぜなら
本物なるものも、
何かの擬態、何かの複製、何かの反復にすぎないということを
闇は闇からしか見えないながらも
万華鏡的な闇として自ら発信しているからだ。

・・・・だが・・・・しかし・・・・
〈共通の場所〉の原生生物的な生命力には
「さあ、また来い」と、
ほとんど沈黙のマイスターとして
身構えていなければなるまいて。

//////////////////////////////
(註1)本ブログ2011年8月16日(火曜日)の「ランダムなもの」を乞ご参照。
(註2)フランス語の''lieu commun''は「紋切り型」=「共通の場所」。

言葉Y先生、写真K

2012年3月9日金曜日

2012年3月8日木曜日

2012年3月6日火曜日

2012年3月5日月曜日

2012年3月4日日曜日

2012年3月3日土曜日

2012年3月2日金曜日

2012年3月1日木曜日