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2011年12月24日土曜日

「Devotion」


○月○日 あさっての卵がまたぐ
学校の尻に。

○月○日 (「尾頭の心許なき海鼠かな」という
まことにもって心ゆかしき御眼鏡どおりに
ヒトは単なる管であるから)
里の坊主の管の先での長い欠伸と
その生前の顔赤らめた他端での小さなオナラに。

○月○日 不幸をおのれの神としていた
おれたち先祖伝来の
底の破れたポケットと
すべての試しが泡(あぶく)となって
眼窩のまわりでどんちゃか騒ぎの青痣群に。

○月○日 およそ九百年前の「鳥獣戯画」での
遊びの構えが崩れて以来、
見つめるあらゆるオブジェと一緒になって
底からどんどん干あがってゆく
〈私(たち?)〉の片方の目に。

○月○日 モロッコの裏路地で拾い損ねた
作家バロウズ使い回しの注射器と
曲がった頭の夕焼け一式に。

○月○日 これらの勤行に紛れこませて----
----何処の馬の骨だかわからない
〈私(?)〉の骨に
追突される
何処のロバの骨であるのかが
もっと分からない
〈私(?)〉の骨に。

○月○日 生類をなべて束ねて連れ去った
ヘアピン・カーブの手術台や
シアン系の液体荒れ狂う北方の海に。
また、
その海に向かって
魚に説教する聖アントニウスの
微熱を帯びて傾いている
青い頭巾に。

○月○日 流木 魚の大骨 船の残骸
などなど
などなど
-----剥離や損壊や断裂により
生まれた場所から
遥か遠くの砂浜に打ち上げられて
不意に隣り合わせたものたちの、
記憶の総和がゼロからの
かつて無かった破壊の破壊を目指しての首途の朝焼けに。

そして
それから
おしまいに
遺言の一歩手前の
本体ゼロへの蛇足のメニュー-----
-----○月○日 信者たちの姿も絶えた
或る極寒の冬の夕暮れ、
シャルトルの大聖堂での
オルガニストの練習が一区切りつき
〈私(何者?)〉の無邪気なパァ〜ンパンパンの、
高い天井に鳴り響く拍手に応えて
「イマジン」をすぐさまバッハ風ヴァリエーションで
聴かせてくれたオルガニストの
脱領域の
大いなる遊び心に。

バウー

言葉Y先生、写真K

(註)第二節の「尾頭・・・・」は芭蕉の高弟向井去来の句。
時を超えてのマツリ事の揶揄とも読めるか。

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「鳥籠が鳥を?」

「鳥籠が鳥を探しに出かけた」
これはカフカのアフォリスム。

しかし、なに、なに?
「鳥籠が鳥を探しに出かけた」だって?

けっこう名の知れた専門学者のフトコロ深い解釈では、
それはか弱い鳥を守ってやるためであるらしい。

だが、
わっは、
「守ってやる」などとは
大きなお世話。

詩人ランボーさんなどは「自由」だけでは物足りなくて
「自由な自由」を目指していたし
「紐付きでない鳥たち」に憧れ続けていたではないか。

鳥は飛びたいときにウンコ垂れながらでも飛べてこそ鳥。

そこで畑違いの〈私(何者?)〉が
カフカの絶対的な速度に合わせて
説明的な言語をばっさり切り捨てて申すとするなら
このアフォリスムは
〈法〉というものが〈犯〉に対して
つねに貪婪に〈構成的〉であることを云っているのだ。

爾余の雑多なご意見はもうアホらしいので魚に説いてくれ。

言葉Y先生、写真K

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野田7