2011年3月31日木曜日

For John Coltrane

僕はフィルムカメラをやります。
フィルムカメラのお陰で沢山の人に出会えたし、
友情や愛情も深まるし、何より人にとって重要ないくつかの事柄を今も学んでいます。
フィルムカメラを写真の先生と買いに行き、レンズを決め、その後僕は色々な人に宣言しました。
「俺はこの50ミリだけでやる。僕が好きなのはレンズではなく写真を撮る事だ。レンズ?笑止千万!何故無駄に買う必要があるのか!」
言わなきゃ良かった。
今僕は何のレンズを買おうか迷っている所です。
お陰で友達には「またぁ?」と言われるし、洋服屋の人には「言ってたよねぇ???」とネタにされるし、弟に関しては横目で笑うし、そして写真の先生には「だから言っただろう!」っていやいや、映画のレンズ使える何て聞いていないもの・・・って言い訳したくなるし。
恥ずかしいけどそういったコミュニケーションはやっぱり嬉しいし楽しいです。
ところで、カルティエ・ブレッソンは50ミリ+ライカで不動だったらしい。
やはりそれだけっていうのはカッコいい。
バイクとか車も(何て言うのか忘れたけど)先輩や友達もそのままが格好いいと言う。
だから僕もマネをしようと思ったけど、
僕は何でも飽きっぽいと言う自分の性格を忘れていた。
でも僕はまた言い訳をしようと思います。
カルティエ・ブレッソンも実は色々なレンズに手をだしていたんじゃないか?
その上で外に出る時はカッコつけて50ミりだったのではないか?
わからないけれど。

そう、僕は今移動している人達にも言えると思うんです。
その人達は不動の場所から動かなければいけない。
けれどきっと戻って来れる。
僕は今50ミリからレンズを変えようとしています。
でもその50ミリと最初のライカにはとてつもない思い出が入っている。
きっとそのセットは僕の友達が一番知っている僕のカメラ。
どんな事があっても戻ってくる組み合わせなんです。
思いが強ければ何があってもそれは引き離せません。
更に今はデジカメにクラシックレンズもついてしまう。
色々な組み合わせで年代も質も様々に楽しめる。
テクノロジーは素晴らしい。
だからその土地だってそのテクノロジーが綺麗にしてくれる。
それが強制であれ、自分からであれ、
少しだけ自分を許す事で思いもよらなかった結果が生まれる。
ただ僕が思うブレッソンの様に
ある場所で、ある時にカッコつけるって言うのはとても大事だと思うんです。
じゃないと僕みたいに言い訳をしなければいけなくなりますからね。
僕だって「移動しなさい」と言われれば従います。
きっとカッコ付けて従います。
そしてやっぱり戻ってくるんだな。
戻ってきて旅に出るんだな。

タイトルは関係ない様で大いに関係あり。
今福島人は福島人というだけで大変だけど、
僕らの支柱はどこへ行っても大事にしていかないといけません。
そしてどこへ行っても反対に恨んだりしてはいけない。
きっと少しの間辛いけど、応援してくれる人はいっぱいいます。
その人達の声を忘れない様に。