2011年5月14日土曜日

頑張ろう○○の次//震災のニーチェ達//頑張らないFriend Fukushima

理由もなく疲れを感じる人っていませんか?
僕はまさにそうです。
仕事が終わって「ちょっと休もうかなぁ」と一息入れても、
「何かしなきゃ」って気持ちになってしまう。
それもこれもあの「頑張ろう○○」のせいです。
何処にいたって目に入るから知らない間に疲れが溜まる。
もっと「○○の○○を頑張ろう」と明確にしてくれたらいいのにな。

被災地にはニーチェがいます。
被災地とそうではない場所のギャップで心にダメージを受け、
倒れてしまったりする人です。
ええ、
本当にいるんですよ?
ある種99の岡村さんみたいな人ですかね。
真面目で実直な人程なりやすい。
僕はその話しをとても近い場所で聞いたKenjiから教えてもらい、
何ともやるせない気持ちです。

僕はKenjiから聞いた話しを含め3件知っています。
共通するのは、
彼らは震災が起きたその日に被災地にいなかったという事です。
なんらかの形で被災地(実家)へ帰り、家族や友人を励まし、
自分の家へ、被災地ではない場所へ戻りそうなってしまった。
症状が出た場所は様々で、仕事場であったり家の中であったり。
気持ちが悪くなる人もいれば、いきなり倒れてしまう人も。
聞いた話しによると、
始めはとてもそうなるとは思えない程強く見えたそうです。
その瞬間を見た人は「いきなりだった」と言います。

日本人の精神論で言えば「弱いなぁ」と感じる人もいるでしょう。
ですが、
あの震災を体験して乗り越えた人は
幸も不幸も身体と一緒に心を成長させた形にもなっているんです。
人間は眼球だけで物を見ているわけではありません。
同じ様に心で見ているのです。
だから強い弱いというよりは、
経験したかそうではないかです。
その人達は離れていても心で見る事ができたのでしょう。
そして家族や友人という義務感から実家へ帰り目で見た。
ところが実際のあの日の揺れは体験していないのです。
致命的な所です。
だって僕ら生き残った人々にすれば、
「あの揺れでもこんなでも生きた、頑張った」って気持ちや経験はありますからね。
でもその彼らは地震=テレビの映像です。
僕らも一緒だけど、
あの地震を受けてもなんとかなったという経験がないのです。
そのまま被災地ではない所へ帰れば・・・心も身体も追いつき切っていない。
更に真面目だから「被災地や家族の為に」とか「なんで被災地は大変なのに・・・」という怒りもあるでしょう。
その人達は確かに心で見た。
でもその人達が見たのはテレビの悲惨だけだったのです。
僕らは悲惨だけが被災地だったと言えますか?
そうじゃないですよね。
良い事、人の優しさや強さを目で見たはず。
更に人の酷い部分も。
テレビで一緒くたにされた物だけが『被災地』ではありません。
残念ながら、
心では見えても、
その心もまた経験していなかったのです。
しかし心の経験は多くの芸術や表現で補う事はできます。
事象のギリギリ近くまで行く事だって可能です。
でも、真面目さ故、
普段の経験やそういった芸術、表現も一方からしか見れなかったのでしょう。

僕個人の話しをさせてもらえば、
現実はそんなに甘くなく、
阪神淡路大震災、新潟の地震。
そのとき僕らは一緒だったと思うんです。
きっと現地の人は同じ事を僕らに思ったのではないか。
もしかして今もそうかもしれない。
僕は東京に定期的に通いますし、関西方面の人とも連絡を取っています。
東京では口には出さないけれど見えない所でのサポートが、
僕には心の目で見えます。
彼らは歩いて帰った。それだって経験でその大変さは染みている。
何かしないと行けないと言う気持ちは一緒だと思っています。
関西の友人は、僕は訳あって行くかもしれませんが、
やはりこのブログや、テレビを通して震災を気にしてくれています。
だから僕らはこのブログを続けていて、矛盾しても尚写真や言葉で伝えます。
矛盾こそ被災地です。
そして実際に目に見える部分だけが真実ではなく、
空気、大多数の世界だけが総意ではありません。
それは本人へ言います。
皆大変なんだよ。
被災地だけが真実ではないんだよ。
君の間違っている所です。
批判してばかりではなく、
もっと色々な人と触れ合わないといけません。

僕はそんな彼らに言いたい。
頑張るんじゃなくて、実家に戻って被災地に沈めと。
君の身体と心は被災地と共にあり過ぎたんです。
その優しさはとても嬉しい。
でも、それは真実じゃないよ?
だって君は体験していないんだから。
でもこれから自分なりの経験を作って行く事はできます。
自分の真実を経験にして行けば良いと思うんです。
そこから隙間や隔たりを詰めて行ってください。
そこには君より大変な人はいないんだから。
それができたら、
もう少し楽に行動してみてください。
そうじゃないと間違った詰め方をしてしまう事がある。
堕落しろとは言いません。
ある種、何か薬を飲んで頼り切ったら堕落の手前まであと一歩です。
それはいけない。
そうじゃなくて、
今まで自分に使っていたルールを少しだけ解除してみるんです。
ルールの解除。
それは人へ気持ちを開き、人の言う事にたまには従ってみるという事です。
君は今まで人の話しを聞きませんでした。
君が正しいのは誰より皆がわかってる。
でも正しいの反対が間違いというのは違うんだよ。
それは今の世界、日本が特に陥っている状態だけでしかないのです。
僕は、
そうですね、経験から言わせてもらうと、
そこには家族や友人の助けが必ず必要です。
僕はそうでしたから。
家族や友人は本人から目を離さないで、無理強いをしない事、
『頑張ろう』なんて絶対に言ってはいけない。
本人は言われなくてもその気持ちがありすぎる程です。
でも頑張る事も経験もないから、
何をしたって『頑張ろう』しかでてこないんです。

今『頑張ろう○○』は意外に人の心へ負担やダメージを与えています。
明確じゃない『頑張ろう』はそれを見た人へ何かしら押し付けます。
そういう人は言われなくても頑張っているんです。
頑張らなければ達成できない"仕事"なのだから。
現場の人の事ですね。
そして真面目な人の事ですね。
方や仕事で、方やできない『頑張ろう』に頑張ろうとする。
どちらも本気なのです。
本気だけど後者は現実的にやれる事がないんです。
だからblogの最初に言いました。
「あなたにはなにもできない」と。
『頑張ろう○○』を掲げている人達へ。
その『頑張ろう』に責任を持ち明確にしてください。
何かをやった気になるだけではだめ。
本当に頑張りたい真面目な人は明確に頑張っているのに、
その人達へ『頑張ろう』を押しつける事になります。
『頑張ろう』を明確に、差別してください。
今の『頑張ろう』が達成できたらなら、
『次の頑張ろう』へ。

二ヶ月です。
もうそろそろ考えを明確にしても良い頃だと思います。
今は「なにかできる頑張ろう」がそこら中に転がっています。
そう、
何かできる頑張ろうなら、
僕らKenjiは頑張らない。
暫く『頑張らないFriend Fukushima』で行こうと思います。