2011年5月14日土曜日

メルトダウン//Meltdown at Daiichi

世間が、というかメディアがメルトダウンで大騒ぎしているが、
僕は正直まったく驚いても危機感も感じていない。
散々のデマや大声でなれてしまったし、
お陰で準備というか、メルトダウン当たり前という認識まで持っていた。
「え?していたんじゃなかったの?」っていうね。
その辺は活動家の皆さんありがとうとさ。
あと多分現場の人っていうのは多かれ少なかれわかっていたんじゃないかな。
「炉心融解」って言葉は使っていたからね。
放射線の量を考えても・・・普通わかって当然なのが専門家。

危惧する所と言えば、
現場の人がそれをどうやって片付けるのかって所だ。
危険度は線量を量っているのだから変わらないはずで、
しかしこう目に見える形であると恐怖は計り知れない。
形にはできないけれど、ただただ応援と安全を思うばかり。
現場の皆さん頑張ってください。
それだけは全世界の総意です。

確かに時間はかかってしまう。
時間がかかっても僕らは待つ事しかできない。
その時間を使って何かできないだろうか?
無理矢理だけど、
何もない時間よりも有意義だと思う。
常に危機感や恐怖があるというのは人間を成長させる。

世間の原発に関する関心や興味は、
できるだけ福島の人の歩調に合わせて欲しいと思う。
じゃないと僕らは無視されていると思ってしまうよ。
僕らだけがとは思っていない。
でも"福島"って散々名前をだすなら知って然るべき人々なはずだ。
更に"終わった"事を前提に話しをしている人が多過ぎる。
泣くのも悩むのも後悔するのもOK
だけどそれが哀れみだった時は間違っているよ。
僕らは元気でいるし、
そう、そのあなたより何倍も強いよ。
その気持ちをもっと明確な方向へ向けて欲しいね。
「頑張ろう」とか「変えて行こう」なんて誰だって言葉だけなら言える。
その影響力が強いか弱いかってだけ。

それでは。
「メルトダウン」って言いたいだけの世間は放っておいて、
僕は外に出て写真を撮る事にする。

最後に福島大学放射線測定チームのリンク
情報というのはなんでも近ければ近い程信用に足る。
信用に足るけどその時点では批評はできないから、
信用の後どう判断するかはそれぞれ。
そこから正しさと間違いの批評が始まる。
とってもくだらないけどね。
ただ、
「福島市の放射線の空間放射線は基本的に3月15日に降下した放射性物質からのみ発生していると考えられます」
という一つの見解はもっと声を大きくしてもいいよね。
それが正しくも間違っていても、
バランスが取れると思うんだけどさ。