2011年6月8日水曜日

見えるもの//支援してくれる人を支援する事//幅広いコミュニケーション

残念ながら、
芸能人や有名人に弱い人が田舎には多い。
重要なのはそれをきっかけにその後で自分達が自立していく事なのだけれど、
そうならない所が田舎たる所以。
だから育たないのだろう。

僕の勝手に大好きな人たちは、
東北へ見えない所で多大なる支援をしてくれている。
ネームバリューはあるけれど決してそれを外へは出さない。
そして県の人も、
僕らの事を考え、その一番下にいる人達は汗水を流して動いている。
それらは有名人のサインやテレビの応援の様に目には見えない。
見えないからこそ誠実であると思う。
きっと本気過ぎて見せてる暇等ないのだ。
だから僕らもわざわざ名前を挙げない。
見せない、挙げない。
今はそういった行動が未来の為に有効なのだ。

東北道の無料化が発表された。
しかし無料になるのは被災者と一般中型トラックだけだ。
個人的な支援をしてくれている人はこれからもっと支出が増える事になる。
更に外からは被災地の不満の声や不安の方が大きく見えてしまう。
つまり外からの支援が少なくなる可能性があると言う事。
被災地へ来てくれる人達は被災地へ来ているのだが、
何度も来てくれる人にとっては、被災地から東北へと変わっていると思う。
ブログに頂くメッセージ、個人的な報告、それぞれのブログ、
口々に東北の美しさや人々について話しをしてくれている。
それらをここで終わらせてはいけない。
『自己負担』それは勝手な良い訳だと思う。
何度も来てくれている人は、
東北人とか何人ではなく、
日本人として共通の意識を持っていると思う。
そういった細かいケアを怠れば、
一番重要な未来が震災前に逆戻りである。
個人的に言わせてもらえば、
小学校等の施設以外の表土除去に何て金をかける必要はない。
その金をもっと幅広い見えない所へ使って欲しいと思う。
不安等、3ヶ月目にして腰抜けの最も足る証拠だ。
自分以外の事を考えられるのが日本人だ。
自分以外を考えるのが自分の事を考える事に繋がる。
それが強さである。

ところが中には今だ"いつもの"コミュニケーションの中で、
待つ事しかしない人も居る。
残念な事だが、
被災地でも動ける人は外とコミュニケーションをとらなければ、
この先に待ち受ける最大のピンチ、経済的な暗礁に乗り上げたとき、
きっと周りと一緒に朽ちて行くだろう。
"外とのコミュニケーション"とは自分の知り合いや友達の知り合い等ではなく、
今までとは全く世界が違う方向の人達の事だ。
知らない人々は知らないアイディアや可能性を持っている。

どうにか、
支援者へだけでも何か通行証の様な物を発行してもらえないだろうか。
それには僕らが動く必要があるだろう。
支援してくれる人達へ支援する等、
何かがおかしいかもしれない。
けれど、
日本全体の問題だと考えた時、
そういった人達は今罪の意識を抱いている人も居る。
そんな優しい人達へ、僕らは同じ国の人間だから。
やはり助け合わなければ行けない。
そうなったとき、
最早日本全体が被災地なのだ。

そう、
僕らKenjiの直接的な行動もこのブログには書かないだろう。
何故なら、
僕らは誰でもない。
福島市の一般人のKenjiなのだ。
一般人の僕らのブログをずっと見てくれてくれる人。
メッセージをくれる人。
心から感謝します。
肩書き等不要。
誠実に、着々と、向かって行こう。
僕らの目指す福島は、
何も無い福島から何かがある福島だ。
それは、来てくれる人達こそが知っている。
目に見える物が役に立たないのはこの三ヶ月で十分に学んだのだ。