2011年6月9日木曜日

福島に放射線の研究機関を!

福島に放射線の研究センターを作りたい。
それも完全に独立した形で自己批評ができる研究所。
それなら、
将来僕らの身に何が起こっても直ぐに対応できるし、
今までできなかった長期間の調査もきっと可能だ。
物理的に近い距離にそういった機関があれば、
福島県民もきっと安心する事ができる。

そこから人間にとっての健康、安心と安全、リスクリテラシー、
自然とエネルギーについて可能性を考える。
除染や研究の末端で雇用を作る。
最悪の事態が起こった場所で、最高の発見を世界に届ける。

馬鹿な考えだろうか。
代替エネルギーや備蓄したエネルギーの限界に言及もせず、
ただ原発を止めるなどと、結局は推進派の思い通りにさせている団体。
きっと今止まっても将来動き出す。
彼らに比べれば現実的だとは思わないか?
この事故の事を本当に考えるなら、
もっと先の未来を見ないと同じ事が起こる。

僕らはリスクを背負った。
そしてそのリスクの先に誰も見た事の無い未来を見ている。
気付いていないだけで、
リスクを背負った人間は未来を向いているのだ。

ライフラインが消え、ライフラインが戻り、
ライフラインが汚染され、
維持されるライフラインの矛盾を毎日考えている。
原発にやられながら、原発に生かされている福島県とその周辺。
こんな経験は何処にも無いはずだ。

何度も言うが、
この経験を勝手に利用されるのは嫌だ。
しかし関係がそろうのなら、
福島県民は少なくともNOとは言わないだろう。
それならいくらでも研究対象になろう。
自分の経験が未来を変えられるなら、
それはこのリスクの新たなメリットになるはず。

これをきっかけに世界を変えるんだ。
あり得る事とあり得ない事が同時に起こった。
だったら更にあり得ない事だって、あり得る事だって起こせるはずだ。
今度も自然と人間の力で。
現実はそう悪くない。

どうか、
これを見ている世界中の人。
僕らはここから変えたいと思っているという事を受け取って欲しい。

「科学者は市民と不安を共有しなければいけない」
高木仁三郎の言葉だ。
それをできている科学者は今ここに居るか?
その本当の心を考えている人はここにいるか?
そしてその言葉を伝える義務をメディアは果たしているか?
誰も、どれも、僕には感じられない。
ただ不安で行き場がない県民だけが見えて、
とんでもない茶番の連続に、現場で流す汗が、
消えて行った人を思う涙が、とても悔やまれる。
それでも僕らは言い続ける。
宮沢賢治の言葉が除染された土の中から芽を出すまで、
「団結なんてしなくていい、それぞれに誠実であれば」と。