2011年6月7日火曜日

敗北

敗北した気分だった。
不安の前に人はこうも弱い物か。
僕らのブログは、肩書きや不安の前になんの役にも立たなかったのか。

僕は父親が買ってきた福島の酒をたらふく飲んで、
夜の小学校の前をカメラ片手にうろついて、
まるでインディペンデンスデイのハエ男みたいだった。
そうだ、
あれも核の花びらを散らしたんだった。

茶の間のテーブルの前に座る。
この場所で何度地震速報を聞いて、
ばあちゃんやじいちゃんとやり合った事か、
Kenji達と話し合った事か・・・。

テーブルには老人会の会報が置いてあった。
そこにはこんな短歌があった。

背負われし幼子頭髪薄くなり
矢よりも早し流るる日々は
Sさん


その人達の感じる年月とは、
背負った子供の背中は何色に染まっているのか。

押し寄せる不安は胸に閉じ込めて
開きしバラにそっと声かけ
Tさん


生き甲斐を土ごと変えるのと、
生き甲斐に声をかけるのと、
どちらが道徳として正しいのか。
道徳の前に、美の前に、
不安と現実は果たして正しさを証明できるのか。
その証明は証明だけで終わってしまわないだろうか?

辛抱はお手のものだと胸叩く
Iさん


敗北はこんな気分じゃなかったのだ。
敗北を背負いながら、
それでも辛抱して働いた世代が、
この世界を作り、そしてまた元気をくれたのだ。
そのお偉方の一部はろくなもんじゃない。
でも一般の人は、

ちくしょー・・・
震災の次の日に早々と炊き出しをしていたのは、
ばあさんたちだった。
とんでもなく早い準備と、方法で、
あっという間に成された笑顔。
あんなに美味しいご飯を食べたのは生まれて初めてだった。

ご飯を食べると不安が無くなると言う事を学んだ。
強過ぎるその世代に、
負けたくないし、そしてその世代を大事にしたい。

海外から、県外から毎日見てくれている人へ。
どんな報道があるかわからない。
最早少なくなってしまって、
把握できないかもしれない。
けれど、不安な人こそ多くいるが、
自分の事だけで忘れてしまった人も多くいるが、
僕らKenjiはまだまだ動く、行動する。
あなた達や、
もっともっと大きな被害を受けている人を忘れてはいない。
不安な人ばかりに目を向けず、
あなたの故郷には、あなたの愛する土地には、
経験と知識が今も強く生きている事を思ってほしい。
その人達は体力は衰えているが、
何故だか僕らより長生きするつもりなんだ。
僕らはそんな世代に力をもらっている。

その世代の一人は、
今日も大きないびきをかいている。
震災以前以後なんて関係ないほどのいびきで、
寝言は地震速報よりも気にかけさせる。
一体誰としゃべっているのだ。

僕のじいちゃんの好きな学者の言葉だ。
「答えと問題はイコールだ。だから私は私の答えを覆す答えを探している」
本物は常に困難を探し敗北から学ぶ。


短歌と川柳は、
福島市老連だより「花こぶし」から。