2011年6月7日火曜日

「福島市は金がないから避難させられない」という自己中心的な考え。

この状況でどこにお金を使うかを考えれば、
普通なら先ずは被災者と被災地と思いつくだろう。
どうしてタイトルの様な事が言えるのか、
今郡山のまねをして、二番煎じで土を掘り返している人たち。
自分から差別を作ってどうするんだ。
ブログにもあの掘り返す姿が「不気味」とメッセージが来ている。
外へはポジティブな行動に映らないのだ。
やるなら誰も見てない所でやれ。
不安のアピール。
結局はそういうことなんだろう。
それを言う事は、
僕は聞きたいが、福島に、日本にお金がない事を知らなかったの?
そんな風に、
無知をさらけ出している様に恥ずかしい事だと思った方が良い。

僕の周りや近所にはそういう行動をとる人は少ない。
何故なら親戚や友人、家族の中に津波の被害にあった人がいるからだ。
その人たちが近くにいる限り、
僕らは不安なんて言っていられない。
同じ核災害なら、
優先してその人たちにケアをしなければ行けない訳で、
県はその人たちに動いていると思われる。
僕らの順番が来るならずっと後の話しだ。
そして来てくれる人たちや遠くにいる友人達がいるから、
タフで誇りのある東北人として見て欲しいが為に、
内心の不安は絶対に外に見せられない。
僕の知っている親達は、
自分の子供への不安よりも、
そういった倫理や道徳を今ここで我が子へ教えている。
不安を子供に見せ、教えるよりも、
目の前の親のいない子供、子供をなくした親、
その人達と生きていく為にそちらを選んだのだ。

メッセージをくれる人へ。
実際には不安な人より冷静な人の方が多い。
タイトルの様な自分の事しか考えていない人ばかりではない。
どうか、
これからも来てくれる事を願う。
そして笑顔で誇りのある東北人としてあなたに会いたいと思う。

不安な人は、
タイトルの様に言うなら、
自分から出て行けば良いのだ。
親戚を津波でなくした人がいる自分達からみれば非常に腹立たしいんだよ。
「お金がない」「身寄りがない」
まったく、
それは災害がなくても言っていた事じゃないか。
いつもそうだ。
お金がないのは働かないから。
身寄りがないのはなぁなぁで本当の関係を気づいて来なかったから。

今覚悟を決めろ。
もっとひどくなるのは目に見えている。
表土を削った事で、
中身が見えるんだよ。
それがどういう事か。
その時に残るのは、誰よりも冷静で誇りを持つ人間だけだ。

ただし、
郡山の様に最初に行動をした人たちは別だ。
その自立、独立、
非常に強い勇気をもらった。
独自の判断と行動には知識と誇りがついている。