ざっと書いていくと「ガン」「遺伝的障害」
「奇形や流産」「環境汚染」などがあると思う。
ナンセンスなのが「日本は終わった」とか「即死」
それに関してはまったく話しにならない。
けれど、その全ての不安は非常に漠然としていて中身がない物ばかりである。
中身がない不安が未来にどれだけ『負の遺産』を残すのか、
あなたは考えた事があるだろうか?
チェルノブイリとの違いについて
どのぐらい報道されているのはかわからない。
しかし、相変わらずおかしな不安が蔓延しているのだから、
きっとまともな報道はされていないと言う事だろう。
どうせ漠然と『Level7』と『チェルノブイリ』を並べているだけだろう。
本当に落胆させられてしまう。
この事故は、
安心と安全を考える上で非常に重要な経験になるというのに。
チェルノブイリ原発事故がおきたとき地域の住民はそれを知らなかった。
避難命令が出たのは事故から二週間以上経ってからの事だ。
事故の規模、放射性物質の瞬間拡散量は福島原発と比べても、
脅威のレベルである。
火災であったから上昇気流に乗って、影響力、範囲の恐ろしさは増した。
地域住民がその二週間の間何をしていたかというと、
"至って普通の生活"をしていたのである。
内陸部故の生活であっただろうに、
内部被曝も相当であっただろう。
ここで勘違いしては行けないのは彼らは避難してからも
"事故に気付かなかった"と言う事である。
つまり、避難先が汚染されている事も、自分たちが二週間の間被曝していた事にもまだ気付いていなかった。
気付いたのは三〜四週間後というから
これが国家レベルの人災だったと言う事に異論はないだろう。
福島原発の場合、
きっと周辺住民は子供の頃から教育され、
そして正しい知識の中で生活していた。
だから事故が起きた時に"最悪の事態"を想定して行動に出た人もいると思う。
そうではなくとも、政府が取った行動、避難や屋内退避。
それは非常に有効な判断だったと思うのだ。
外野は「こうした方が良かった」と好き勝手言う。
けれど、僕らは言うだろう。
あの地震、津波。
あの恐怖を体験したら
立ち上がる事もできないんだぜ?と。
大切な人が目の前で消えて行く。
消えそうな人を助けに向かう。
ライフライン、道路や通信手段も壊滅。
何が出来る?
そして原発事故。
何ができた?
政府を無条件で責める理由があるなら、
あのあとの風評被害から屋内退避圏内の物資が不足した事について、
もう少し考えれば良かったというぐらいである。
一番重要なのは日本人との文化や食文化の違い。
チェルノブイリ周辺住民は"内陸部故"に海の食べ物を習慣的に食べれない。
それがどういう意味を持つか。
ここには書かない。
自分で調べて判断して欲しい。
そこにはやはりリスクもあるのだから。
僕は今大好きなブルボンの『チーズおかき』を食べながらPCに向かっている。
いちいち袋に入っていてゴミが増えるばかりである。
僕は気の狂いそうな程のエコ活動家なので、ゴミが増えるのが許せない!
そういえば、海外のお菓子は一つ一つが袋に入っていないから、
ゴミも少ないし凄く楽に食べれる。
さて、安心安全なのはどっちだろう?
朝の撮影の後、
玄関で靴を脱ぎ、足がベタベタするから風呂に入って洗った。
朝ご飯を食べる前に除菌された布巾でテーブルをふき
犬の散歩もしていたから軽く手を洗った。
けれど、僕はスモーカーだ。
だから一回外に出てタバコを吸ってからその手でご飯を食べた。
さて、僕の健康状態はどれぐらい安心で安全なのか?
数字だけを見て計算し、規定の基準値を超えたとする。
ところが、それはごく極端な状態での計算だとする。
更に、一番に基準値が甘い世界での話しだったとする。
あなたはある状態の場合
"あえて"レントゲンを撮らせないという事を知っているか?
大丈夫なのにもかかわらず"あえて"レントゲンを撮らせないのは、
不安を考えてだ。
僕ら日本人は安全な不安に常に守られている。
政府が何かを隠している。
まぁいいだろう。
けれど、当時のチェルノブイリ、ソビエト連邦は冷戦時代だった。
人の命と破壊兵器、諜報活動、威嚇行動、隠蔽。
どちらに金と命と時間をかけるのか?
そして馬鹿みたいな携帯の放射線量アプリは存在したか?
今だにチェルノブイリでは放射能が出続けている?
最悪な国家と言う連中が、人の命を国家以上に汲み取れば、
もっともっと早くまともな状態にできていたろうに。
再び石棺を考えているらしいが、とんでもない大バカも良い所だ。
全く持って全てがナンセンスである。
テレビが何でそれを言わないか。
答えは一つ。
『安心は金にならないから』
その証拠は、
あっという間に始まった通常の番組編成にある。
本気でまずかった東京のレスキュー隊が向かったあの日。
テレビの連中も青ざめていたのを思い出せばいいと思う。
ジャーナリスト失格も良い所だ。
もっと現場の事を想像してみたら良いと思う。
チェルノブイリの時は放射性物質の拡散防止に早い段階で努めていたか?
地域住民に早い段階の保証や対応はあったか?
自分に起きるかもしれない死の意味を知りながら、
現場に立ち向かった人達はいたか?
放射能を外に出してしまった事で一番に責任を感じている、
仕事人魂を持っているやつはいたか?
値が上がったとか下がったとかやっているが、
彼らがいなかったらもっともっと危険だった。
もし同じ事が海外でおきていたら?
日本の安全神話とか技術力のなんとかと言われているが、
とてつもない津波と状況をその目で見た人はいるか?
それをあの値まで下げると言うのはそこらの現場には到底出来ない事だ。
何から何まで違う。
目に見えて同じ最悪は数字だけのレベルと数字だけの放射線の値だけだ。
核実験時代のフォールアウト、
排気ガス、タバコの副流煙、
住宅に関するラドンという放射性物質。
様々なパニックウィルス。
様々なパニックウィルス。
そして僕が昼に食べた化学調味料たっぷりのマクドナルド。
人体の中でも一緒の事だ。
放射能による影響だけじゃなく、人の細胞プログラムは常にエラーを起こしている。
人間は外部、内部、常にそれを克服して生きてきた。
人体の可能性を見くびるな。
地球上でこれほど奇跡的な生物は他に存在しない。
『負の遺産』は原発事故の事じゃない。
子供を守ると言うならば、
本当の安心と安全を伝えないと行けない。
学校や家で外に出れない子供に大人は何て言う?
「放射能があるから外には出れません」
子供は放射能の何が悪いか理解していないじゃないか。
理解していないのに外に出さないのが安心と安全なのか?
その子供が大人になってまだ原発が存在していたら、
また良くない事が起きる。
起きた時に子供は放射能について解決策や対応もしらないのに、
極端な事例だけで声高に「原発反対!」と言っているかもしれない。
極端に最悪の状況を出すのは間違っていない。
というのも、
常にそれを考えて行動したのは日本政府や県も同じだったから。
経験がない状態ではそれが最善策だ。
しかし極端な人間が違うのは、逃げるにしても、それを伝えるにしても、
解決策や分析が何一つないと言う事、
与える恐怖でそれを隠す事に頭がいっぱいだったと言う事。
最悪の事態を知っているという事は、
最高の解決策や対応も知っていなくはバランスがとれない。
それは倫理の上でも、論理的な観測の上でも大事な事だ。
それをやらないで騒ぎまくったのは頭の悪い大人の事で、子供は勿論、
事故自体に関係のない人間は不安以外の何も知れないままだ。
その子供や人間は『負の遺産』をかかえたまま生きる事になる。
子供を放射能から守ろう?
寝言を言うのもいい加減にしろ。
逃がすなら相応の教育をしてから逃がせ。
人の親なら子供にとって本当の未来を与えてやれ。
そして子供の判断能力と純粋さを馬鹿にするな。
『負の遺産』とは大人の下らない不安の事である。
大人の中身のない教育の事である。
桜が咲いている。
そして吹かれて散っている。
誰かが見ないとただ寂しいばかりだ。
そこに安心と安全は果たして関係ないのだろうか?
僕は事故の次の日に現場で働く友人と約束した。
『将来必ずカメラをトラックに乗せて原発に行こう』と。
本気だったし今も変わらない。
だからそれまで死ねない。
でも現場ではもっと近くの夢で精一杯だ。
家族に会いたい、日本を救いたい。
僕が遠くの夢を見れるのは現場のお陰だ。
彼らの努力がある今なら1000年先の夢も見れそうだ。
さて、
僕が5年から30年後にガンになるとして、
今その夢を捨てて、
24時間で効果が消えるヨード剤を飲みまくり、血中濃度を上げまくり、
部屋の中で無菌状態でいる事は安心安全だろうか?
子供達に正しい知識と行動を見せないで、
その子供達がジジイになった僕の将来を花で埋め尽くす前に、
また間違いを起こさせてもいいのだろうか?
起きた時に同じ事をさせてもいいのだろうか?
それが神話になるなら、
きっと人間は同じ事を繰り返す。
神話になるのは人間が身体一つで空を飛べる様になってからでも遅くない。
僕個人が思う福島原発事故レベルは暫定『5』である。
それ以下であれば環境汚染や
必要な不安や未来へのリスクを無視する事になる。
それ以上だと現場の人間の努力や技術を無視する事になる。
だから僕らは現場に光をあてる。
それが反社会的と言うなら結構。
僕らに光をあてる必要はない。
最後に、
今日友達に子供が生まれた。
心からおめでとう。
僕はこの震災や事故があってから、
生まれて初めて子供が欲しいと思った。
それは子供を理由にしたいからじゃない。
この自然、この土地をもっともっと長く生かす為に、
この経験を神話で終わらせない為に、
継ぐ者が必要だからだ。
僕は事故の次の日に現場で働く友人と約束した。
『将来必ずカメラをトラックに乗せて原発に行こう』と。
本気だったし今も変わらない。
だからそれまで死ねない。
でも現場ではもっと近くの夢で精一杯だ。
家族に会いたい、日本を救いたい。
僕が遠くの夢を見れるのは現場のお陰だ。
彼らの努力がある今なら1000年先の夢も見れそうだ。
さて、
僕が5年から30年後にガンになるとして、
今その夢を捨てて、
24時間で効果が消えるヨード剤を飲みまくり、血中濃度を上げまくり、
部屋の中で無菌状態でいる事は安心安全だろうか?
子供達に正しい知識と行動を見せないで、
その子供達がジジイになった僕の将来を花で埋め尽くす前に、
また間違いを起こさせてもいいのだろうか?
起きた時に同じ事をさせてもいいのだろうか?
それが神話になるなら、
きっと人間は同じ事を繰り返す。
神話になるのは人間が身体一つで空を飛べる様になってからでも遅くない。
僕個人が思う福島原発事故レベルは暫定『5』である。
それ以下であれば環境汚染や
必要な不安や未来へのリスクを無視する事になる。
それ以上だと現場の人間の努力や技術を無視する事になる。
だから僕らは現場に光をあてる。
それが反社会的と言うなら結構。
僕らに光をあてる必要はない。
最後に、
今日友達に子供が生まれた。
心からおめでとう。
僕はこの震災や事故があってから、
生まれて初めて子供が欲しいと思った。
それは子供を理由にしたいからじゃない。
この自然、この土地をもっともっと長く生かす為に、
この経験を神話で終わらせない為に、
継ぐ者が必要だからだ。