豚を殺して人食をする表現の映像がある。
確か本物の豚を殺していたと思う。
僕は子供の頃に豚の解体を間近で見た事がある。
なかなかのものだったが、
僕は意外にショックを受けなかった。
「ははぁーん」と心の中で納得したのだった。
戦慄していたのは弟の方で、
夕食にそこでできたソーセージを泣きながら食べていたのだった。
まぁ食べれるところが凄いと思ったけれど。
警戒区域に取り残された動物達が、
その町で、その道路で自由を謳歌する姿はとても奇妙だった。
ファンタジーの様であり、
ピンクフロイドのアルバムを思い出してしまった。
「餓死」をした動物もいる。
動物が餓死をしてしまう世界を考えてみて欲しい。
人間がいないと田舎でさえ動物が餓死してしまうのだ。
人間がいる事で動物は生きれたし、動物がいる事で人間は生活をできた。
それは動物が好きとか簡単な話しではないのだ。
被害を受けた農家達にとって動物とは自分自身であったのだ。
僕が豚の解体を見た時に農家は
「あんたらに食べてもらうのが何より豚の気持ちだよ」と言った。
そういうのを批判する人もいるが、
その農家の心は家畜と一緒だという事がわかっていないんだと思う。
この世界では人間がいなければ動物も食べて行けないのだ。
この世界では人間がいなければ動物も食べて行けないのだ。
福島の水族館は壊滅的な状態で、
多くの海洋生物が死んでしまった。
やはり彼らも人がいないと生きて行けなかった。
ただ単には海に逃がせない。
被災地にはこういった水族館が沢山ある。
どうかこのブログを見ている人達。
動物達も被害を受け、
その語の殺傷処分
それに対し声を荒げる人、
前に進もうとしている人、
その気持ちを少しでもわかって欲しいと思う。
わかる事で、これから食べるそのご飯はきっと味が変わると思う。