東京と福島を行ったり来たりして、
一時はなんとも中途半端な気持ちがしたが、
客観性と地元の気持ちが今はとてもバランスが良いと感じる。
新幹線に乗る同じ時間に、先週見た同じ人が物資を持って乗っていたりして、
今このバランス感覚は、
東北と世界を結ぶ重要なコミュニケーションなのかもしれないと思う。
まぁ僕が行ったり来たりしないと、
腰抜けの悪友や、兄弟や親戚達の心配がどんどん膨れ上がるのだけれど・・・。
近くの人から伝えて行くのは誰だって同じですね。
先日仕事の前や後に必ず立ち寄るお店にTシャツが入っていた。
五種類ぐらいあったか、それぞれメッセージや昔の新聞のロゴみたいのだったり、南北戦争の歌かそれともジェームズキャグニーの映画かそのタイトルとか。
かなりcool。
生地も粗い新聞紙みたいな感じで雰囲気も抜群。
いつもはそれだけ種類があると悩んでしまうが、
今回は一発で上の写真の二枚になった。
きっとKenji達は「うんうん」と頷き、弟には笑われるだろう。
『Miserabilism』
作った人がどこからとったのかはわからないが、
僕にとってMiserabilismと言えばPet shop Boysの曲だ。
確かシングルのB面で、僕はB面集で初めて聴いた。
特に後半は夜中の一番良い時間に祝福される感じが堪らない。
君が見た物は
君が発見したのは新しい哲学
という歌詞だったと思う。
Miserabilism
訳すのはとっても難しいが、
直訳すると「惨め主義」という感じか。
悲観主義、悲観的観測、惨めな歴史、失望主義・・・いくらでも浮かんでくるな。
でもPet shop boysの曲では、
否定や失望、バッドエンドから見つける事も可能だと言う意味だった。
だから僕はこの言葉と『New Society』という言葉の組み合わせに、
なんだか勇気をもらった気がするし、これを胸に付けている事で、
何も言わなくても未来のヴィジョンを主張できる気がした。
そういうえば、
その昔僕がPet shop boysがカバーしたハウスの名曲『It's Alright』で踊っていた時、隣には幸せそうに誰かとハグをしまくるゲイの友人がいた。
彼もまた惨めであるがそれでも生きている。
地震があった後も「コワーイ」と言いながら、
仲間のアウトサイダーと早い段階に被災地へ物資を届けに行った。
惨めな人生にしかわからないこともあって、
それは僕ら本人にとってはまったく惨めではないのだ。
きっと『Miserabilism』という言葉に何か得体の知れない気分になる人はみんなそう。
その時しかハグをできない、祝福できない人生も悪くないもんだよ。
これを作った人はこんな出来事がおこるなんて想像しなかっただろうな。
けれど、
歴史を見ると偉大な人って言うのは何故か感じてやってしまう。
それはポールウェラーがスタイルカウンシルをやった様な事じゃなくて、
もっと天然で、そしてその出来事が起きてしまった時にとても深いダメージがあり、時に自分自身を滅ぼす程にぞっとする才能だ。
僕にとってはこの洋服を作る人、伝えてくれる人、
本当に感謝の連続なんだけど。
でもきっとその人達もMiserabilismだから。
大丈夫。
才能持っている人はいつまでも落ちていては駄目だよ。
それは被災地からのお願いだ。
僕らには見えない恐怖はあるけど結構大したもんじゃない。
頑張るよ。
だからアーティストは早いとこ作品にしてよね。
あ、『New Society』は言葉とフォントが
ジョイディビジョン〜ニューオーダーっぽかったから。
イアンカーティスがいなくても未来に向かう。
他にはゴスバンドBauhausのジャケットみたい。
だからボディはグレーにした。
・・・妄想は嫌だね。
でもこの震災があって、映画や音楽、
好きで良かったと心から思う。
正しい意味なんてどうでもいいや。
Is is and isn't isn't
それが好きで妄想が本当に未来になったら最高じゃん。