2011年5月10日火曜日

ばあちゃんと井戸水//Finer Feelings

震災からもうすぐ二ヶ月が経つ。
時間なんて何て事ない。
けれど区切りは大事である。
だからばあちゃんの話しをする。

地震のその日の夜僕は空になった風呂に水を溜めた。
ばあちゃんは僕に向かって「ハッこんな時に風呂に入るのか!」と叩いた。
風呂の水は茶色くて「地震の直後は水が茶色になる」と聞いていた通りだった。
「これから暫くは茶色い風呂か」と思った。
その後10日に渡り風呂に入れない事になるとも知らずに。

次の日水が出なかった。
こんな事があるのかと、
絶望に近い気持ちで、強い余震の中、精神的なダメージは増えて行き
僕はもう二度と人間の生活に戻れないと思った。
・・・井戸水が・・・
何度も蛇口を上下するが水はやっぱり出てこない。
「緊急地震速報です」
どうやって生きて行こうかと考えた。
・・・井戸水が・・・
片付けをしないと、
家の中は引っくり返した様になっていて足の踏み場もなかった。
あれだけ頑丈に立て付けた本棚も駄目になっていた。
すっかり片付と余震への警戒に夢中になっていてトイレに行くのを忘れていた。
水は出なかった。
その時初めて水が出ないとトイレが機能しない事を知った。
トイレに落ちたのは寒くて出た鼻水の雫だった。
小便をする気なんてなくなっていた。
・・・井戸水が・・・
お前はコマーシャルかと。
そう、それはその間カラオケに行こうとしたり、
逃げる度に重要なバッグをてんでの場所に置き、
僕をイライラさせるばあちゃんの声だった。
「井戸水があるからなぁ」
僕は全く持って聞く気がなかった。
だってこの現代に井戸水があるなんて信じられなかったから。
例えあっても僕の想像では昔話にでてきそうなやつで、
家族が必要とする水に足りるとは到底思えなかった。
「はいはい、井戸水は良いから自分の荷物だけ確認しておけ!」
そう言いながら友人との繋がらないメールにやきもきする。
そんなやり取りの中、
近所に住むばあちゃんの仲間が訪ねて来た。
僕も皆も嬉しかった。
あの日の後に会う顔は、
笑顔か涙かどちらかだけだった。
それが数メートルしか離れていない家の人でも。
まったく、
人の顔の数だけ強くなる生命力と未来への希望。
ひと時の再会が終わり、
その人は帰りがけに言った。
「うちの井戸水好きに使ってない。気にする事ねぇから好きなだけもってって」
井戸水は存在した。
しかも風呂の水をいっぱいに溜めても無くならないし、
飲む事もできる保健所の審査がおりた水。
形状も昔話ではなくて、蛇口のタイプだった。
ばあちゃんは僕に馬鹿でかいたらいを渡し言った。
「行ってこい!」

Finer Feelings
あれから数々の気持ちに出会った。
それは僕自身の中だけでも書ききれないぐらいに。
思い返してもまだまだ書ける事はある。
その中で二ヶ月を前に一つだけ強く言いたい。
戦争を経験したお年寄りは強い。
しかし今、
そんなお年寄りでもやはりこの震災は大きかったんだと感じる事がある。
昔の事よりも今おきている事の方が大変なのだ。

子供には未来がある。
けれどお年寄りはどうだろう。
僕は震災を経験し思う事がある。
経験をしなければ本質はわからない。
だから戦争だって経験をしなければわからない。
経験をしていない僕らにはわかりっこないのだ。
でも諦めて何も感じない様になるよりは、
ある種の映画が現実を超える程に見れる様になりたいし、
物を読み解く力を鍛えたい。
そこにはやはり経験をした人の言葉と行動が必要なのだ。
僕がジジイになった時、
もしかしたら同じ様な事がおきるかもしれない。
その時にこの経験は生かせるし、僕が何か表現する事で生きているなら、
遺す事ができる。
この震災で僕は初めて長生きをしたいと思っている。
そして前よりも強く長生きして欲しいと思っている。
聞きたい事、見たい行動がまだ沢山ある。
それらは古くて新しい、未来の話しだ。

もうすぐ二ヶ月。
忘れるなという言葉、
忘れてはいけないという言葉。
もしそれが言葉の通りだとしたら間違っていると思う。
暗記とは違う。
その言葉には経験を元に前に進めると言う意味も入っているのだから。
言葉に出さなくても動いている人は忘れない。
変えなければ行けない事が山ほどある。
また新たな経験する為に、
僕らも向かう。