その韓国人と出会ったのは丸の内だった。
自分のスナップ主戦場である丸の内で写真を撮っていると、
その韓国人が「皇居はどこですか?」と道を訪ねて来たのだった。
彼は英語を話せたので、
僕は片言ながら彼と一緒に皇居まで歩く事にした。
「まさか皇居に着いたら何か始める気じゃ・・・」
皇居につくと彼は言った。
「こんなに美しい場所が日本にはあるんですね」
以来彼とは一ヶ月に一回程メールをやり取りする様になった。
彼とメールをすると一回は日本の悪口を言われる。
だから僕も言い返す。
もしくは逆のパターンもある。
けれど、
最後はいつもお互いの健康を願って終わるのだ。
世間では韓国と日本について色々とある。
けれど悪口は、悪口ではない場合だってある。
そう、
友達に言う冗談の様な。
彼が日本に来る理由は『農業』である。
アメリカに住んでいて、
彼の会社から農業を学びに来ているのだった。
彼はその話しになるといつも言う。
僕が福島という土地で農業と自然の近くにいる事を「素晴らしい」と。
更に「どうしてTokyoの人はそれがわからないのですか?」と。
カタコトの日本語で言われると結構やられてしまう。
だから「それは僕だって一緒なんだよ」と伝えるのだ。
震災の次の日。
僕の家に電話が来た。
それは彼からで、
共通の友人である僕の弟から話しを聞いて僕の実家に電話をかけて来たのだ。
携帯電話は殆ど繋がらなかった
ばあちゃんが取ったのだがまるで言葉が通じなかったのだろう、
ばあちゃんは怒りながら僕に受話器を渡した。
「何話してるかわかんねぇ」
僕は緊急地震速報の嵐の中電話に出た。
「大丈夫ですか?弟さんから聞きました。かけてしまってごめんなさい。大丈夫ですか?大丈夫なら良いです。大丈夫ですか?」
片言の日本語にはやられるんだよ。
そして彼はアメリカに戻った。
最近弟から聞いた話しによると、
彼は「行くな」と言う会社の声を押し切って
3月の終わりにまた日本へやってきたのだという。
彼はその事を僕に話しはしなかった。
「またTokyoで会いましょう」ただそれだけで、
いつもの通り日本の悪口と、彼が大好きな日本酒について話すのだった。
「ここだけの話し、マッコリより好きです」
僕もある種の漬け物よりキムチが最高に好きだよ。
後から知った事だが彼はゲイだ。
僕は何故かそういう人達を引きつける能力があるらしい。
そういうモテ方は困るが色々な意味で世界は広い。
僕と弟がクラブへ行ったとき、
そのまるでそっちの風貌でボーフレンドとやって来た彼に
二人で爆笑してしまった。
「どういうことだよ!」と。
偏見の隙もなかった。
でも、
それが何の意味を持ち、何の世界へ向かわせるというのだろう。
僕らは人間である事に変わりはない。
僕が目の前の家族と友人の事で精一杯だった時に、
色々な人から連絡をもらった。
申し訳ないけど、その時は返せる暇はなくて、
暇がない事でこのブログができた。
そしてその人達はいつもの通り接してくれていて、
僕よりも震災や放射能に関する色々な事を影で学んでいて、
知らないところでサポートしてくれている。
それを後から知って、
まったくこの世の中の素晴らしさに気付くのだ。
人の繋がりの間に国は関係ない。
関係はないが、やはり戻らなければ行けない時はある。
その行動だけでは決められない。
言葉だけでも決められない。
通じなくても決められない。
けれどその純粋さだけが、また行動と言葉になっていくのだ。