「書かないの?」と言われ続いたこの『気になる事』
昨日の町と田舎についての更新が効いたのだが
これで最後にしたい
今起きている問題は
震災以前からの問題に繋がっていく
そこから解決していかなければいけないことばかりだ
けれど一般的には震災後の問題の方が大きく取り上げられる
前のkenjiの言葉を思い出すが
「どうでもいいことばかりが議論されている」
その中で
僕らは幸運にも一応のこと以前の生活を取り戻した
するとそれぞれに見えて来る現実がある
そこにおいて
僕個人の興味とこのブログの方向は自然なものである
何より生活をしなければ何もできないのだから
福島の過去の問題がどれほど多いか考えた事はあるだろうか?
田舎について、原発立地地域について学んだ人はどれだけいるか?
震災後様々な団体が現れたが
中には何か勘違いしてしまったものもいる
注目とは怖いもので
知られる、見られることにおごり
それら注目のイメージを作り批判を受けるのが誰なのか労いもなく
そしてそれ自体が「見えない」を作り出している事に気付かない人もいる
自分が知る団体の一つでは
ある人が抜けてからまるで地味なものになってしまった
集まる人も減り、おごった一人は今は
個人的な状況を事故の被害と混同しとても情けない姿で
「忘れないで欲しい」
と繊細な言葉を盗んでいる
抜けた彼こそが作り出していたのだが
それに気付かないままおごってしまう人間がいたのは
それほどにこの「福島」が良くも悪くももたらした注目の結果である
最初の気持ちはどこへ行ったんだと思う事がある
見る事ができただろうと
助ける事ができるだろうと
これから
そういった活動や表現は
大河の流れとともに
どんどん収縮していき
「見えない」は増えていくだろう
そして
以降のすべてが不幸を元にあることを忘れ
個人的な拠り所として
ただ続けるだけがとても惨めな結果を生むこともあるだろう
常に意識し、見える者持っている者を側に
イメージの中枢を大事にしなければいけない
直後の考えや気持ちだけではいられない
ブログが始まることになったkenjiとの再会
僕らは二年ぶりの再会であった
それから色々と続いているこのブログ
おかげさまでアクセスは安定している
始めから見てくれている方
途中で見なくなった方
途中から見始めた方
知人友人
本当に感謝をしたい
今その再会以前の生活をしながらも
僕らはまだやれている
とても幸運なことである
だから、できることや考えがある
イメージは次々にある
その為に必要な人、物もある
けれど時期や時間やそれぞれの生活もあり
この世界と福島の風が正しく向くかも重要である
何より僕らが楽しいと思うか
長い時間が必要だ
このブログのローカルな視線から
放射能だけではなく、もう少し細かな福島を見て欲しい
それはこのブログのテーマと離れている事かもしれないが
個人的なきっかけがあったので言わせてもらいたい
福島について少し危機を感じているのは本当の所だ
では
写真はまたもや関係のない東京
