2012年10月24日水曜日

義民に誘われて7//立子山を散策7

先日、義民太郎右衛門を調べに歴史資料館に行き
「福島市史」を読んでいると「一揆」という項目があり疣石峠について記してあった
処刑場と化した疣石峠は村人から「タブー視」されてきたそうだ
享保14年(1729)から安永2年(1773)まで供養塔を建てることも遠慮されていたらしい
どの程度「タブー視」されていたかは判らないけれど
「享保の一揆」が後の幕府の政策転換に繋がったのならば
いまとなっては避けて通る場所というよりは
むしろ感謝しにくるべき場所であろう