動画を見返していた
今、あの時と同じパーカーを着ている
数ある動画の中でも僕らのは僕らにとってスペシャルだ
直後の市内の動画はあの時に自分たちが生きて動いていた証拠
最初の避難所はあの日々にあって子どもの声や奮闘する大人達に勇気をもらった
いわき市の動画はあるkenji縁の土地だけあり本人の尋常ではない気持ちが伝わってくる
相馬は言葉にはならないが、なぜか道中とそして帰ってからを思い出す
二番目の避難所は時間の経過とともに表れた問題を垣間みた一日だ
国見町は僕らのブログに大切な方向を教えてくれた「影に行け」と
そして最後の南相馬は「疲労」の始まりを思い出す
全てに共通して感じるのは
「故郷にカメラを向ける」ということ
それを一つ一つ乗り越えて行ったこと
あの頃、向けることがおそろしくはあったが無邪気でもあった
以前からのやり方を超えなければいけない何かがあった
それでもいつも通りにやろうという意思があった
動いているあの日の自分を見て特に感じる
ありがたいことだ
震える一瞬
あんなにも「一度きり」で「かけがえのない」瞬間は他にあっただろうか
個人的な再始動の気持ちのもと
(偶然と思いつきと返答の、ブレイクスルーな天戸川)
細かな編集をしていて動画と写真投稿が殆ど動いていないことに気付いた
頻繁に動きがあるラベルではないがやはり何かあればと思った
写真投稿は以前の様に少しでもできたらと考える
初期は投稿形式を目指して始まったブログでもあるし
福島でなくとも今だからこそ行けない土地も見てみたい
そして動画に関しては
個人的に調べていることや最近関係したプロジェクトの経験があり
Friend Fukushimaでも何かできたらと考えた
故郷の動画は数多くあり、飽和状態であるかもしれない
更に作家がプロとして撮ったもの、書いたものも山ほどある
けれどその中でFriend Fukushimaらしいものが出て来れば良いなと思う
ガチガチに完成度が高いものではなく、かといって趣味的なものでもない
Friend Fukushimaらしい動画
自分達の表現にとらわれる必要はない
続けているからこそ、らしさの制約から与えられる物があるんじゃないか
それは求められることとは違うのだ
僕はマンネリだからと言って急に新しいことを始めるのが好きではない
そんな時こそやってきたことを見返し
らしさを整理することが残すことや発見へ繋がると思う
誰かが「自分にしか」できないことを模索しているときにこそ気ままな発想があり
誰もが「飽きた」ときにこそ見逃された素材がそこに転がっている
それは僕が尊敬をする海外のレーベルや好きなブログの方法でもある
現在Friend Fukushimaはちょっとした細かな対応と調整がある
そうした細かな対応と調整は
見てくれている人がいる限り、そして続く程に重要だと気付かされる
それらがFriend Fukushimaの輪郭になっていく
話しは変わるが
都内の若者と銭湯の話しをした
きっかけはFriend Fukushimaで行った温泉の数々からである
都内に沢山ある銭湯が市内には殆どない
けれど温泉が近場に数多くある、それは贅沢であるかもしれない
彼がこのブログを見ているかはわからないが
温泉で撮った写真を見せては彼の田舎の話しをする
似た様な所もあるし、違う所もある
たぶん田舎は来年も再来年もそれほど変わらない
都内の様に数ヶ月で一変することはない
けれどそれでも一度切りではなく何度も行くことでわかることもある
自分自身の変化が表れることもある
確かに、自然の写真ばかりはやってるほうが飽きて来てしまうし
「このブログは何だったか」と思うこともあるのだけれど
まぁ、僕らは気が向けばまた行くのだろう
なんと言っても、日本人で東北人であるのだから
というわけで是非動画も見てください
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