僕は基本的に朝ご飯を食べない。
けれど震災以降しっかり食べる様になった。
ネガティブになっている時と言うのは大体が空腹時だと気付いたから。
僕が怒っている時やネガティブな文章の時は大体腹が減っている時で間違いない。
友人達に言われて反省しながらお腹いっぱいご飯を食べるのである。
ところで、
うちのばあちゃんの仲間には『司令塔』と言われる人がいる。
隣に住むばあちゃんのお姉さんだ。
毎朝訪ねてきて、最近なら何処そこは物資がないから届けに行こうとか
何処そこは水が出るとかホットな最新情報をくれていた。
ばあちゃん達の一日は司令塔が決めると言っても過言ではない。
カラオケパーティを震災の次の日に開催しようとしたのも大本は司令塔だ。
自分の家の石垣が地震でふっ飛んでいるのを見て爆笑していた姿は一生忘れないだろう。
僕の住む大森と言う地区の実権を裏で握っているのも司令塔だ。
お嫁さんは大変だと思う。
そのお嫁さんが地区の消防団で、たぶん司令塔に無理矢理着せられたと思われる男物の消防服でうちにやってきた時は、さすがに可哀想だと思った。
早朝から滑稽の極みで「おはようございます!」と言っている姿に今は夜なんじゃないかと思った程だ。秋休みで帰省していた弟はその姿を「バックドラフトのカートラッセルかと思った」と今でも酔っぱらうとネタにする。
司令塔の命令は絶対である。
ある日うちの隣に流れる川に自転車が捨てられている事があった。
みつけたのはばあちゃんで「めんどくせ」の一言で帰ろうとした。
ところがそれを司令塔がみていたから、数分後には大森地区の若者が集まり、最終的に関係のない郵便局長まであらわれた。
川に入りびしょびしょになりながら上を見上げると、司令塔は『もっと右!』『それではあがってこれねぇべ!』『ホラホラホラ!』とかイライラしていた。
イライラするのも司令塔の仕事である。
『司令塔』という名前をつけたのはうちのじいちゃんだ。
あまりにも来るから皮肉でつけたのだ。
震災の一週間後、じいちゃんは茶の間から庭を見て『熊がいる・・・』と言った。
僕は1000年に一回の地震だし本当にいると思ってすこしゾクッとした。
しかしそれは草むしりをする司令塔の事だった。
ネタにされるのも司令塔の役割である。
きっと司令塔がいなかったら僕らも皆も
あんなに楽しく動けなかったんじゃないかと思う。
今朝も司令塔はばあちゃんと新聞を広げて企業の義援金の話しをしていた。
司令塔は「ソフトバンクが義援金100億だと」と言って関心をしていた。
ばあちゃんは「儲かってんだ」と笑っている。
僕は「そういうことじゃねぇ!」と突っ込む。
じいちゃんは犬と遊びながら声を出さないで「ワンちゃん熊が恐いって言ってるから帰れって言え」と僕に言っている。
大森には最高のチームがいる。