2012年10月1日月曜日

町は一人では//田舎は一人で

『28』
町を撮っていると
自分の存在が町に飲み込まれる様な気持ちになることがある
そんなときの写真を見た人達は
「人がいないみたいだ」とか
「町と距離を感じる」とか
「故郷でもどこでも旅人の様に映す」とか
そんな感想を言う事があった
それは震災以前からだが
写真のことであるから仕方がない
町には様々な人の目線がある
たまに
「町は人の目線だけでできているんじゃないか?」
と思うほどである
たぶん僕はその隙間にでも入り込んで
そこから撮るのが癖の様になってしまったのだろう
もしくは意気地がないか

『50』
田舎を撮っていると
田畑や山々に
風景に
自分の存在を発見する事がある
そんなときの自分の写真を見ると
とても痛い思いをしてしまう
それは震災以前からだが
最近はより多くなった
写真に写る故郷
錆びたドラム缶や無心の案山子や緑や雪が
自身に繋がる空洞をあけ、覗き込ませ
自分はは一つの自然現象になってしまう
発見する他無いのは捉えどころがないほど何も無いからである
もしくは選ぶことができていないか

『35...』
先日このブログに少し悲しいメールをもらった
内容には触れないが
言いたいのは
このブログは複数の人間で成り立っているということ
あの日から時間が経った今
故郷への考えや思い
写真や言葉はそれぞれの場所から来ているということ
上の『28』と『50』
それは僕の癖や性格であり
できれば直したい所があるくらいのものである
しかし素直になれば
現れるのは自身である
写真である
僕は「このブログの写真や言葉は皆のもの」と無責任な言い方はしたくない
けれど特定の場合を除いては「誰々のもの」と言う必要もないと思っている
それだけにかけがえの無い気持ちで更新をしている

『21、或は41...45』
町は一人では撮る事ができない
田舎は一人で撮るにはあまりに痛いときもある
無論僕の考えではあるけれど
このブログにはそれぞれの方法や捉え方がある
当たり前に、行動範囲もモチーフも違う
そして『数字』も『数字』に対する自身も違う
それらが真似や同じになることは
自身を消してしまう事になりかねない
それは写真において真摯と言えるだろうか
一つ一つのカメラの精神に対して無関心過ぎではないか
故郷を撮る事において限定しかねないのではないか
それらを影響と言ってしまうには
始めてから余りに時間が経っている
そう思うのは
僕は(僕らは)カメラにとても感謝しているから

人の捉え方は様々である
一緒にはできないと思う
そんな事がわかる程の写真を撮れているとは思っていない
けれど
福島も様々である
事故があったからと言って
一つの様に見られるのはとても悲しい事だ
福島はあの日々から
それぞれの目線を持った
持たざるを得なくなり選択しなければ今日は来なかった
このブログはその内のいくつかが合わさってできたもの
それぞれとそれぞれが宿ったカメラで補い
そして反応し合いながらできる写真
それぞれが出会った人や縁がある人と混じり合った
故郷を通した言葉
みんなが必要でできるだけ尊重をしたい
それが僕にとってのFriend Fukushimaの目指す所である

今日の写真は明日の喜びである
それぞれではあるけれど
ある側面
僕らはその喜びを日々噛み締め
続けていて良かったと思うのだ