2012年9月13日木曜日

義民太郎右衛門

義民太郎右衛門は、天和2年(1682年)佐原村井の内で
名主の家督に生まれました。
生まれつき大層聡明で学問を好み
正義感の強い熱情の人であったと伝えられています。
成人して 人望が益々厚く種々村のために尽力しました。
特に祖父3代に渉る世に言う太郎右衛門堰・山間 3kmに及ぶ水路を完成し広い水田を開拓し農家の繁栄に貢献しました。
たまたまその頃(享保の中頃、1720年代)の当地方は
大凶作が続き餓死する人が続出したので、
農民が大挙して再三に渉り大森代官に減税を願い出ましたが
ついに許されませんでした。 
困りきった農民は福島藩に越訴したので代官が激怒し、
首謀者を追放や打ち首にしました。
万策尽きた35箇村の民衆は密議の上、
太郎右衛門に頼って代表に推挙し将軍に直訴することにしました。
太郎右衛門は死を決して江戸に上がり、その期を覗っていましたが、ついに捕らえ られ佐原に送られ打ち首となりました。
太郎右衛門堰は今も昔のままの姿で用水を運んでいます。
2010年1月28日発行
『吾妻山砂防通信』より

写真は先日の『天戸川へ...リターンズ』より
気になって調べてみるとそれほど多くはないが情報がでてきた
東北はこうした歴史の人物が多い
福島県文化センターの隣にある
福島歴史資料館が再開したら
色々と調べてみたい所
(9月28日まで災害復旧と耐震工事の為休館中)