先日の地震(7日 震源地 三陸沖)で心配をしていた岩手出身の友人Tから
「元気です」と連絡をもらった
特にTを心配したのは、あの震災で彼とその家族が当事者となり
その境遇から心を病んでいた為である
彼があの時故郷にいたことを知ったのは
震災から暫く経ってからで
岩手出身ということは知っていたが
「まさか」と思うとともに
目の前のTを見てとつない奇跡をみたような気分になったのを覚えている
(僕らもそうなのだが...勘違いもあるところで)
Tの故郷はどんなところだったのだろうと
Tの故郷の以前の写真を見せてもらったことがある
それは村全体を見下ろす様に撮ってあり
ちょうどもやの様なものがかかる時刻であったのだろう
写真全体がうっすらとしていて
幽邃の中に人々の古風で味のある温かみを感じさせた
Tはその写真をいつも財布にいれていたのである
Tは僕より五つ以上年下だったと思う
Tの師匠に当たる人を知っていて
師匠も7日の地震を随分と心配をしていた
Tと師匠はとても仲が良かったが
Tの未来の為に去年一時的に別れることになった
T曰く次に師匠と会う時は、何かをする時は...ということであった
それは最良の決断である
自分も周りもそれについてとても心配をしていたからとても安心した
いつのころからか影響が結果的に保身や甘えになっていて
どうやっても本人達の強い覚悟がなければ切り離せないものであったから
決断のきっかけになったのが震災で
それを聞いた時に本人の境遇のことを知った
そして病んでいることも
ある一つの事を除いて
永遠の別れなどがないことは
僕らは良く知っている
のどかな田舎にあらわれたものは
多くの人々を悔い嘆かせ
黒い髪を地面まで垂れさせた
人生について
作品について
こうでもならなければ、ということもある
つい最近自分の周りにいた学生たちが離れて行った
彼らとは三年近く一緒にいて別れはとても寂しくあったが
自分にとって彼らにとって色々のタイミングでここしかないと決めた
そして新しくやってきたのは10近くも違う学生たちである
彼らを選んだのは僕であるが
さすがに10も違えば急に年をとった気分にもなるし
話しの通じない事に頭を抱える事もある
しかし溢れるパワーと発想に力をもらうことの方が遥かに多く
自分の時間を投げ出しても彼らに教える事は無駄ではないと感じる
もうすぐ今年も終わる
時間が経つのは早いと感じる
しかし7日の地震で
あの揺れは確かに身体が覚えている最な脅威に似たもので
予言者の言葉を不安に思い始める者もいる
ここにきて更に落ちてしまう者もいる
経つというよりぐるぐる同じ所を漂い続ける者もいる
全ては、忘れてはいけないことだが
かといって心苦しく日々「何もできない」と悩むことも辛い
それでも、そうして自分たちも進んで行くのだ
もちこたえ
何か素晴らしいことのスタートを切るのは今日でも遅くない
このところ一日を読書や映画に当て
一日を仕事や書き物に
そして写真を撮っているのだが
前の様に、夏の様にはいかない
真剣になり過ぎるのはいいことだが
思いのままに
あの頃、という程過ぎていないのはわかってはいるが
思いのままに
故郷の亨楽の中また色々なものを振り回したいものだ
思いのままに
ここでしかできない東北の冬を