あれ、あれ、
もう秋。
冷たい風が吹きわたるすすき野のなかで
今まで聞いたこともない声や物音が
わたし(何者?)の耳に落ちかかってくる。
だが、だが、
これは、
たんなる空耳?
いや、いや、
どうやら
そうでも無さそう・・・・すると
このたびも
また
前回同様に
16世紀フランスの物語作者、
フランソワ・ラブレーさんの
『ガルガンチュア物語』のなかの
「凍った言葉」をめぐるハナシに
ハナシが即座にがちゃ〜んと繋がる・・・・・すなわち、
航海中の巨人ガルガンチュアさんが
空から奇妙な声や物音が落ちてくるのを不審に思い、
臣下の船長に訊ねたところ、こんな説明が・・・・
・・・・・「ここは、氷海果てるところでございますが、
この海原では、
昨年の冬の初めに、
一眼族(アリマスピアン)と
雲歩族(ネフリパート)との間で、
激しく無残な戦争が行われたのです。そのとき、
男や女の言葉や叫び声、
群衆の立てる武器の音、
甲冑や馬の胸甲などのぶつかる音や、
馬どものいななきや、
その他戦場の恐ろしい物音が、
空中で凍りついてしまったのです。
現在、冬の厳しさも過ぎ去って、
ほど良い季節の朗らかさ穏やかさが戻ってきますと、
これらの凍った言葉は溶け出して、
耳で聞き取れることになっておりまする。」
なるほど、なるほど、そうであったか。
ラブレーさんは
四百年以上にわたって
バッハの『音楽の捧げもの』の
「無限カノン」さながらに
修道院の鐘楼から
カラ〜ン・カラ〜ンと響かせ続けていたわけだ、
「一眼族」や「雲歩族」のように
あんたがたニンゲンさんらが、
言葉を凍らせたりするんじゃねえよと、ね。わけても
あのオッカナイ揺れや線のあとでも、
目覚めることを拒んだだけの
後出し20万年後ジャンケン族どもや
「償いを忘却に代行」させまくるワタリガニ族や
〈空ろなお知らせ〉しか紙切れや電波に乗せない
あらゆる今様瓦版打ち股膏薬族等々、等々に向けて。
と申すのも
2011年3月26日の
この「Friend Fukushima」で
わたし(何者?)がひとまず記しておいたように
聖書原典ヘブライ語では
ノアの家族や動物たちを大洪水から救った
箱舟(tewa)
という単語には、
なんとまあ(!)
言葉(tewa)
という意味も
あったの
だから・・・・・、
だから、
ラブレーさんはさらに〈束ねて〉云っているのだよ、
その「箱舟」を凍らせるんじゃねえよ、
ともね。
////////////////////////////////////////////////////////////////
(註)①一眼族(アリマスピアン)、雲歩族(ネフリパート)とはラブレーの造語。
その解釈は各々方にお任せ。
②「償いを忘却に代行させる」とは作家ミラン・クンデラの言葉。
言葉Y先生、写真K