2013年1月4日金曜日

「人権化宣言」

〈今・此処〉に
ひとまずは
〈居る〉
つもりだけれど
それらの〈つもり〉を
「ゆあ〜んゆよ〜ん」とねじ曲げまくる
「茶色い戦争(!)」が
とめどもなく
拡がるさなか、
・・・・・いよいよもって
カチカンが多様化してきたなあ
と人びとは口を揃えている
らしい。

らしい
けれども
「カチ」ってえのは
美術の分野では、
「色価」や「明度」も指すわけだから
そうセッカチに
「カチカン、カチカン」口ばしるんじゃねえよ。
さらに、
司馬遼太郎さんのコトバでは
「コドモの精神を忘れたオトナは信用できない」
ということでしたが、
いまや
元・コドモさんらが
それ行けどんどん
息を切らして一斉に走りつづけて
コドモのアタマやびっくりマナコを
遥か彼方に置き去りにしてきたくせに、
これまた、また、また、一斉に、
それ行けどんどん
コドモ以上にコドモ化してきて、
蝉の声まで「ウルサ〜イ」と
ケーサツに文句をつけておられるご様子、
・・・・・要するに
彼ら(すなわち俺たち)の
蝶番のはずれた頭の
修繕用のトンカチやネジ釘類など
そうは簡単に入手できなくなったままに、だね。

というわけで
カチカン
の多様化
などなど、
それ行けどんどんの
二人三脚さんたちが、
(いや、間違った、
一億九千九百九十九人コンマ九脚さんらが)
ご持論を
お述べになっても、
〈コト〉は
ただ単に他人の欲望を
俺たち(誰たち?)は
上下左右前後に合わせて
塗り絵
している
に過ぎないようにて、
俺(誰?)のまことに
危うい記憶では
フランスの思想家ルネ・ジラールくんが
「ミメーシス欲望」と名付けていた
はずの
ただの
個人的欲望
だけが
「ゆあ〜んゆよ〜ん」の先っぽで
人権化されている
だけ。

今や
それ以外に
いったい何がある?

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(本体の無い蛇足的註1)表題は「人権宣言」に非ず。
(註2)仏語の「此処(hic)」には「困難な点」の意もあり。
(註3)「茶色い戦争」は中原中也から。

言葉Y先生、写真K