---ランボー「母音」変奏---
「あ」----母音(だよ)
まずはもちろん
生まれたばかりの赤ん坊の口から出てくる
「お」よりも広く大きく開け放たれた
最初の叫びだ
声の卵だ
あとの四つの母音の仲間を誘い出す湧き水の澄んだ響きだ
「今は昔」の歌垣を訪ねてみても
「あ〜」はよくよく舞っていた
精気に充ちてよく舞っていた
「よくよくめでたく舞うものは 巫女 小樽葉 車の筒とかややちくま
侏儒舞 手傀儡 花の園には蝶 小鳥」(梁塵秘抄)などなど.....
などなど!
.....これらの声にはよろずのものとの
艶やかな交感のうねりがあった.....
.....都の大路を練り歩き
緑ゆたかの野山や田畑に朗々と響いた声にて
五穀の奥に眠っている日輪の記憶もろとも酒精を起こし
よくよくめでたく舞っていた声.....
よくよくめでたく舞っていた声.....『死者の書』の
ほそい指 丈なす黒髪
白いうなじの南家の郎女・中将姫の
眺めやる夕焼け空の茜色乱れ渦巻く雲間に束の間浮かんだ
墳墓のなかの皇子にまで色香があって.....
(だが.....今の声たち?).....それらは
おそらく
扁桃腺の
バイパス辺りで
涸れかかっている滝
旧約聖書のヤーコブの至福の夢に現れた
天まで届く梯子の傍らで
垂れさがってゆく螺旋階段
声の亡骸
だからと云って
ヨハネの黙示録に描かれた
世界の終わりを告げにくる赤青黒白の
四頭の馬のひずめの音が迫ってくるなか
『荒地』の詩人が思い描いていたように
世界は「ドカンの一発で終わりはしない」し
「すすり泣きの一声」でも終わりはしない
世界はただ一筋の弱々しい失禁で終る
(註)釈迢空著『死者の書』
言葉Y先生、写真K