タイトルの通り2013年4月11日でFriend Fukushimaを休止する
2011年3月11日
僕らkenjiは故郷を失いかけた
中通り福島市に住む僕らは地震と津波の被害は免れたものの
福島第一原発の未曾有の危機により
かつて経験したことのない決断を強いられた
当時の僕らは汚染の意味もその状況もわからず
明日にでも故郷を捨てなければいけないのかと
ただ誰かの決定を待つ曖昧な状況の中にいた
いまこうしていつも通りの生活を営む僕にとって
あの状況は「大袈裟だったんじゃないか」と感じることもある
しかし思い出す
家族や親戚と「避難するにしたってどこにいけばいいんだろう」
「関東や北海道の親戚が来ても良いって」
「この家も庭も捨てなきゃいけないのかな」
と話したことを
そして何よりkenji達と撮影して来た当時の写真を見ると
僕らは確かにギリギリの状態にいたことがわかる
『死』が常に僕らを取り囲んでいた
そして何よりkenji達と撮影して来た当時の写真を見ると
僕らは確かにギリギリの状態にいたことがわかる
『死』が常に僕らを取り囲んでいた
あの時、僕らの故郷はもはや僕らの知る故郷ではなくなりつつあった
しかしその中で愛おしく思えることがあった
それは見た目はいつもと変わらない故郷の風景
僕らkenjiの行動範囲だった
そしていつもより力一杯生きる人達だった
僕らkenjiは変化を受け入れそれらを撮影し
僕らだけの福島をこのブログに作ろうと決意した
それは故郷を取り戻すことと同じ意味だった
それを伝えることでテレビや新聞に映らない福島を伝えたいと思った
誰かの決断を待つことはできなかった
福島の人間は様々な決断や選択を各々にした
福島の人間は様々な決断や選択を各々にした
あれから二年
このブログは僕らが住む福島以上に故郷の様なものになった
僕らkenjiにとってとてつもなく大きなものになった
どこにいてもこのブログに関われば
故郷にいる様な気持ちにさえなれた
どこにいてもこのブログに関われば
故郷にいる様な気持ちにさえなれた
だから「休止」の決断はとても心苦しかった
ずっと見てくれている人もいる
ブログの更新を空けるのは一日でも考えられない
しかしそれでも休止せざるを得ない様々な理由があった
複雑な気持ちである
ずっと見てくれている人もいる
ブログの更新を空けるのは一日でも考えられない
しかしそれでも休止せざるを得ない様々な理由があった
複雑な気持ちである
例えれば、人生における旅で故郷を離れるような気持ちだ
「何をただのブログ一つで」と思う方もいるかもしれない
けれどkenjiとこの決断について話し合う中で
気持ち一つでFriend Fukushimaを更新して来たことを強く感じ
ブログ以上の巨大な何かになっていたんだとあらためて思い知ることになった
いま言えるのは決してブログに飽きた訳ではないという事
福島の生活がいつも通りになり故郷への気持ちが消えた訳ではないという事
理由や今後については追って案内しようと思う
急ではあるけれど時間までFriend Fukushimaを宜しくお願いします
4月11日までは平常通り更新は続きます
けれどkenjiとこの決断について話し合う中で
気持ち一つでFriend Fukushimaを更新して来たことを強く感じ
ブログ以上の巨大な何かになっていたんだとあらためて思い知ることになった
いま言えるのは決してブログに飽きた訳ではないという事
福島の生活がいつも通りになり故郷への気持ちが消えた訳ではないという事
理由や今後については追って案内しようと思う
急ではあるけれど時間までFriend Fukushimaを宜しくお願いします
4月11日までは平常通り更新は続きます