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ブログの今後について

Friend Fukushimaの4月11日以降の更新は不定期となる
不定期と言ってもダラダラと更新する様なことにはならない
この「休止」という決断は殆ど「終わり」に近いと思っていただきたい
毎日更新していたものを止めるからには次の更新を適当なものにはできない

休止以降の更新が具体的に何時になりどんなものになるかは僕らにもわからない
もしかしたらそのままになる可能性もある
このブログのコミュニケーションは一方通行である
今後も変えるつもりはない
今まで見ていた人が休止以降の更新を知るには
やはり"今まで通り定期的に見て"もらうしかないのである
急な休止に重ね
いつ更新するかもわからなくなるブログを定期的に見て欲しいなどというのは
今まで見てくれた人たちに本当に申し訳ない気持ちで一杯である

二年続けた事を止めるのはとても力を使う
決断をしてから毎日考えている
止める事でこのブログがある意味で完成してしまう可能性もある
再開の時は今以上に力を使う事になるだろう
その力が未来の僕らにあるのかどうか今はわからない
あの日は過ぎ、僕らは離れるのだから

2013年3月20日水曜日

Friend Fukushimaは4月11日に休止します

この文章と合わせてこちらの投稿も読んでいただきたい
タイトルの通り2013年4月11日でFriend Fukushimaを休止する

2011年3月11日
僕らkenjiは故郷を失いかけた
中通り福島市に住む僕らは地震と津波の被害は免れたものの
福島第一原発の未曾有の危機により
かつて経験したことのない決断を強いられた
当時の僕らは汚染の意味もその状況もわからず
明日にでも故郷を捨てなければいけないのかと
ただ誰かの決定を待つ曖昧な状況の中にいた
いまこうしていつも通りの生活を営む僕にとって
あの状況は「大袈裟だったんじゃないか」と感じることもある
しかし思い出す
家族や親戚と「避難するにしたってどこにいけばいいんだろう」
「関東や北海道の親戚が来ても良いって」
「この家も庭も捨てなきゃいけないのかな」
と話したことを
そして何よりkenji達と撮影して来た当時の写真を見ると
僕らは確かにギリギリの状態にいたことがわかる
『死』が常に僕らを取り囲んでいた

あの時、僕らの故郷はもはや僕らの知る故郷ではなくなりつつあった
しかしその中で愛おしく思えることがあった
それは見た目はいつもと変わらない故郷の風景
僕らkenjiの行動範囲だった
そしていつもより力一杯生きる人達だった
僕らkenjiは変化を受け入れそれらを撮影し
僕らだけの福島をこのブログに作ろうと決意した
それは故郷を取り戻すことと同じ意味だった
それを伝えることでテレビや新聞に映らない福島を伝えたいと思った
誰かの決断を待つことはできなかった
福島の人間は様々な決断や選択を各々にした

あれから二年
このブログは僕らが住む福島以上に故郷の様なものになった
僕らkenjiにとってとてつもなく大きなものになった
どこにいてもこのブログに関われば
故郷にいる様な気持ちにさえなれた
だから「休止」の決断はとても心苦しかった
ずっと見てくれている人もいる
ブログの更新を空けるのは一日でも考えられない
しかしそれでも休止せざるを得ない様々な理由があった
複雑な気持ちである
例えれば、人生における旅で故郷を離れるような気持ちだ
「何をただのブログ一つで」と思う方もいるかもしれない
けれどkenjiとこの決断について話し合う中で
気持ち一つでFriend Fukushimaを更新して来たことを強く感じ
ブログ以上の巨大な何かになっていたんだとあらためて思い知ることになった

いま言えるのは決してブログに飽きた訳ではないという事
福島の生活がいつも通りになり故郷への気持ちが消えた訳ではないという事
理由や今後については追って案内しようと思う
急ではあるけれど時間までFriend Fukushimaを宜しくお願いします

4月11日までは平常通り更新は続きます

2013年3月19日火曜日

離脱

これほど投稿の書き出しで躓いたことはありません
なにから説明すればいいか判らないけれど単刀直入にいえば
わたし「Kenji」はFriend-Fukushimaから離れることを決意しました

思い返せば...
このブログをはじめてから沢山の出会いがありました
いろいろなひとやものを好きになり
いろいろな福島が好きになりました
それらはこれからもわたしにとってかけがえのないものです

ブログというのは、一般的に私的なものですが
Friend-Fukushimaにおいては
わたしたちはわたしたちなりの決め事の上で
あまり私的になり過ぎることのないように
いままで投稿してきたわけです

だからこそプライベートな事情は
このブログには関係のないことかもわかりません
ただ私の身の回りにおける私にとっての大切なものを守ることができなければ
Friend-Fukushimaを続けることはできません

もちろんFriend-Fukushimaも大切なもののひとつです
しかしどれもこれも両立できるほど
わたしはできた人間ではありませんでした

だからどれかひとつでもなんとかできるように
ここから離れることを決意した次第です

いままでFriend-Fukushimaを見てくれていた皆様とお世話になった方々へ
「ありがとう」

そしてこの決断にあたって背中を押してくれたKenji...
君には申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいです
なによりもまず私自身を立て直すために...
精一杯努めます

福島観光マップ2013

これは本宮サービスエリアの"案内"を撮影したもの
事故によっていまだ通行不可な道路はあるが
いつかと比べるとなんと華やかなことだろうか

僕らはあれから県内のどこへ行っただろうかと考えた...
圧倒的に会津が多い
やっぱり住んでいる僕らにとっても魅力であるからだろう
浜の方も行ける所は行った
しかしあの日々だけの撮影が多くなってしまっていることに
少し罪悪感を感じてしまう
原発周辺には行ってみたい所も多いし約束したこともある
時間が徐々に道を開いて行く

2013年に見る県の観光マップは2011年に見た時と何かが違う

色々な所へ行った
とは言え、まだまだ広く語り尽くせない福島
それぞれに今年はどこへ行くのだろうか
あれから二年が過ぎた福島
テーマを持って挑む事で新たな方向が開けるかもしれない

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2013年3月11日月曜日

住んでいる

震災から二年
あらためて考えると驚くことが二つある
このブログが今日も続いていることと僕らが福島に生きていることだ

生きているという表現は今日にあって大袈裟なのかも知れない
しかし確かに僕らは経験したのだ
二年前の今日の今頃の時間にいる自分たちに言ってやりたい
「きみたちは二年後もそこにいる」と
きっと驚くに違いない
二年前の自分たちの驚く表情を想像し、今日の僕たちは甦る
二年前に求めていた世界は今日のことではなかったか
今日は驚くべき日なのだ

そしてこのブログ
当初は「福島の復興まで」という期限で始めたのを思い出す
しかし二年経って復興という言葉の示す世界は複雑だ
復興が何かわからないし、その前に復旧があるとも言える
二年前は知ることのなかった多くの事柄を考えるとよけいにハッキリしない
二年前の今日は思いつきもしなかった言葉
けれど個人個人の福島で言えば復興したと言える者もいる
やはり二年前に求めていたのは今日のことであるのだから
今日こうして居ることのできる僕らのブログは随分前に役目を終えている
すると当初の期限も過ぎている
僕はいつも「意味のあることをしていたい」と思う
それについてこのブログが今日も続いているのは驚くことなのだ

二年を迎えた僕らkenjiやその家族や友人は
福島に住んでいる

全ての驚きは福島に住んでいることに始まった
それぞれの気持ちで迎えた今日
僕らは福島に住み福島を撮っている
これがいつまで続くかはわからない
いつか終わるときが来るとしても、驕ること無く続けたいと思う
それが僕らに出来る死者たちと残されたものへの気持ちである

方木田付近17

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荒井周辺1

四季の里
写真投稿Aさん

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2013年3月2日土曜日

見かける野菜

どういう理由で干されているのかわからない野菜
これがまたうまそうに見えたりもする

2013年3月1日金曜日