2013年2月5日火曜日

「始まりの場所」

サハラ、ダナキル砂漠等々、
アフリカ大陸の砂漠へは、
詩人ランボーや
作家サン=テグジュペリの足跡たどりで、
内戦だらけの国や地域を
すり抜け
くぐり抜け、
後で思えば
冷や汗ものの「出くわし」を重ねながらも
総じて申せば
朝と暮れ方の風紋の美に一途に惚れて
危機感知能力総骨抜きの
移動の日々を繰り返していたのだけれど、
・・・・・或る年のこと・・・・・、
大西洋岸側モーリタニアの首都ヌアクショットから
四輪駆動で
三日間走り続けての
奥地のオアシスで
たまたま出会った
ノマド(遊牧民)の一族に出会ったときに、
わたし(何者?)は
不意に
背筋に〈ぞくっ〉と走るもの
を覚えながら想い起こしたこと・・・・・それは、
砂漠の民ベドウィンの言葉「砂漠」・・・・・すなわち
「バディア」とは
「始まりの場所」ということだった!

うーむ、
これには
さすがに、さすがに
参った、参った。

とにかく
何処まで
動きに
動いても
砂、砂、砂、砂、砂、砂、砂、砂、
そのような
砂ばかりの地を
砂漠の民は
なんと
「始まりの場所」
と名付けていたのだから!

ちなみに
数学者ゲーデルが
“The world in which we live is not the only one
in which we shall live or we have lived.”
と〈精密に・算・定〉したような
〈或る別世界〉での
始発の点とも大きくずれて
まさに
「バディア」・・・・・これこそが
裸形にして
無一物であるがゆえに
このうえもなく誇りの高い
始原のトポス、
〈在ること・の・零度〉においての
「始まりの場所」!

であろうから、
そのような場所に
地続きであり得る場所など、
今や、
すでに、
こちら(どちら?)の世界では
至るところで
ことごとく
崩れ落ちていて、
さらには
当代の卑しいコトバ「癒し」のための
なけなしの
〈終わりの場所〉さえ、
カフカの「皇帝の綸旨」の
宛先さながらに
何処とも知れない中空に
ふわり、ふわりと
浮いている
ようだわ、
わ、
わ。
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(註)カフカの短編「皇帝の綸旨」におけるメッセージは
飛脚がどれほど駆けに駆けてもその宛先には届かないようだ。

言葉Y先生、写真K