2013年2月22日金曜日

二年目を前に福島の生活で目にする光景

青いビニールシートの山
福島県に住むものであれば当たり前に目にする光景
日常になってしまった除染の風景
青いビニールシートを目にしてそれぞれに今何を思うかはわからないが
「まだまだ続いているんだな」と思う人も多いはず
もしかしたら「不安」になってしまう人もいるかもしれない

こうした光景に
一年以上前の僕らであれば驚きと不安でいっぱいになったであっただろう
こんな光景は世界中どこへ行ってもありはしないのだから
畑で良く目にしたビニールシートも場違いにそこら辺にあると
事故の記憶から異常に青く見えてしまうこともあった
何か生物でも隠されていそうである
しかし世界中どこへ行ってもありはしない光景も
毎日目にしていれば特に驚きもなくなってしまう
冷静になったというわけではなく
良くも悪くもそれぞれに過ごしてきただけのことである
他人が何を感じようとこれが僕らの生活なのだ

こんな光景も毎日目にしていると余計なことを考えたりもする
「ビニールシートは足りるのか?」
「ビニールシート屋は大儲けじゃないか?」
「ビニールシートを作る人達は残業の連続で疲労困憊じゃないのか?」
などなど...

真面目な話し
このビニールシートの下の土はこれからどこかの仮置き場へいったんは置かれ
それから事故のあった双葉郡に建設中である「中間貯蔵施設」へ運ばれ
処理や保管をされる
そして一応は「30年」現実的には曖昧な「最終処分」を待つ
全ての肯定の中には沢山の矛盾が存在している
置かれ、処理され、保管される場所の近くには人が住んでいたり
またはそのお陰で住めなくなることもあるかもしれない
小さな誰かが賛成し、反対し、そのどちらの声も届かないのに大きな計画は進む
僕らの地域が除染されれば同じ県の他の地域が汚れてしまう
もっと言えば「30年後の曖昧な最終処分」は海を渡った先のどこかの国かもしれない

けれど僕は「現代の生活は犠牲の上に成り立っている」
などとお決まりの台詞を言うつもりは無い
またこの現実に悲しみを抱き怒りに変えることもない
確かに犠牲はあっても
僕らには僕らのやることがある
僕らは「個人の範囲」を誠実に生きる事が
結果的に良い方向に繋がるのを知っているし信じて疑わない
それまでに悲しみや葛藤があるのは説明する必要はないだろう
僕ら個人の生活には今だに別れも出会いも傷も許しもある
それは事故や震災に起因するまだまだ続く個人の福島の生活でもある
こうした光景は僕らの生活の一部の集合体のようにも見える
ひときわ目を引く集合体に本当に大切なものを奪われ
誠実に向き合う身近な生活を忘れてはいけない
大きく悲しむのも怒るのも身近で精一杯やってからでも遅くはない
福島に住んでいるのだから僕らには色々ある

ただしこうした現実を頭に入れ
決してなれてしまう事のないようにしないといけない
こんな光景は誇れるものではないけれど
それからどういったことがそれぞれの誠実さなのかもわからないけれど

テレビやネットでしか目にすることなかった現実に
僕らが直面しているのは確実なのだ
無駄にするわけにはいかない