2013年2月28日木曜日

2013年2月27日水曜日

2013年2月26日火曜日

2013年2月25日月曜日

2013年2月24日日曜日

大雨に備えて!

また青いビニールシート
しかしこのビニールシートはこの川の改修工事のものである
思い返せば2011年は水害の年でもあり
夏の頃に記録的な大雨が続き
この川も僕が記憶する限り十数年振りに洪水が危ぶまれた
祖父母も近所の知人宅へ避難した程である
会津の方では大きな被害もあった

これから先、また何が起こるか分からない
被害を防ぐ為に改修工事はこうして冬の間も続けられているのである

2013年2月23日土曜日

2013年2月22日金曜日

矢剣町17

二年目を前に福島の生活で目にする光景

青いビニールシートの山
福島県に住むものであれば当たり前に目にする光景
日常になってしまった除染の風景
青いビニールシートを目にしてそれぞれに今何を思うかはわからないが
「まだまだ続いているんだな」と思う人も多いはず
もしかしたら「不安」になってしまう人もいるかもしれない

こうした光景に
一年以上前の僕らであれば驚きと不安でいっぱいになったであっただろう
こんな光景は世界中どこへ行ってもありはしないのだから
畑で良く目にしたビニールシートも場違いにそこら辺にあると
事故の記憶から異常に青く見えてしまうこともあった
何か生物でも隠されていそうである
しかし世界中どこへ行ってもありはしない光景も
毎日目にしていれば特に驚きもなくなってしまう
冷静になったというわけではなく
良くも悪くもそれぞれに過ごしてきただけのことである
他人が何を感じようとこれが僕らの生活なのだ

こんな光景も毎日目にしていると余計なことを考えたりもする
「ビニールシートは足りるのか?」
「ビニールシート屋は大儲けじゃないか?」
「ビニールシートを作る人達は残業の連続で疲労困憊じゃないのか?」
などなど...

真面目な話し
このビニールシートの下の土はこれからどこかの仮置き場へいったんは置かれ
それから事故のあった双葉郡に建設中である「中間貯蔵施設」へ運ばれ
処理や保管をされる
そして一応は「30年」現実的には曖昧な「最終処分」を待つ
全ての肯定の中には沢山の矛盾が存在している
置かれ、処理され、保管される場所の近くには人が住んでいたり
またはそのお陰で住めなくなることもあるかもしれない
小さな誰かが賛成し、反対し、そのどちらの声も届かないのに大きな計画は進む
僕らの地域が除染されれば同じ県の他の地域が汚れてしまう
もっと言えば「30年後の曖昧な最終処分」は海を渡った先のどこかの国かもしれない

けれど僕は「現代の生活は犠牲の上に成り立っている」
などとお決まりの台詞を言うつもりは無い
またこの現実に悲しみを抱き怒りに変えることもない
確かに犠牲はあっても
僕らには僕らのやることがある
僕らは「個人の範囲」を誠実に生きる事が
結果的に良い方向に繋がるのを知っているし信じて疑わない
それまでに悲しみや葛藤があるのは説明する必要はないだろう
僕ら個人の生活には今だに別れも出会いも傷も許しもある
それは事故や震災に起因するまだまだ続く個人の福島の生活でもある
こうした光景は僕らの生活の一部の集合体のようにも見える
ひときわ目を引く集合体に本当に大切なものを奪われ
誠実に向き合う身近な生活を忘れてはいけない
大きく悲しむのも怒るのも身近で精一杯やってからでも遅くはない
福島に住んでいるのだから僕らには色々ある

ただしこうした現実を頭に入れ
決してなれてしまう事のないようにしないといけない
こんな光景は誇れるものではないけれど
それからどういったことがそれぞれの誠実さなのかもわからないけれど

テレビやネットでしか目にすることなかった現実に
僕らが直面しているのは確実なのだ
無駄にするわけにはいかない

2013年2月21日木曜日

2013年2月20日水曜日

2013年2月19日火曜日

2013年2月18日月曜日

2013年2月17日日曜日

2013年2月16日土曜日

太田町5

街には新しい建物が増えた様に思えるが
やっと取り壊しが始まったところもある

2013年2月15日金曜日

2013年2月14日木曜日

2013年2月13日水曜日

2013年2月12日火曜日

2013年2月11日月曜日

11日

2013年2月11日

2013年2月9日土曜日

2013年2月8日金曜日

郵便局前

たまたま人通りがないだけである

栄町4


2013年2月7日木曜日

2013年2月5日火曜日

「始まりの場所」

サハラ、ダナキル砂漠等々、
アフリカ大陸の砂漠へは、
詩人ランボーや
作家サン=テグジュペリの足跡たどりで、
内戦だらけの国や地域を
すり抜け
くぐり抜け、
後で思えば
冷や汗ものの「出くわし」を重ねながらも
総じて申せば
朝と暮れ方の風紋の美に一途に惚れて
危機感知能力総骨抜きの
移動の日々を繰り返していたのだけれど、
・・・・・或る年のこと・・・・・、
大西洋岸側モーリタニアの首都ヌアクショットから
四輪駆動で
三日間走り続けての
奥地のオアシスで
たまたま出会った
ノマド(遊牧民)の一族に出会ったときに、
わたし(何者?)は
不意に
背筋に〈ぞくっ〉と走るもの
を覚えながら想い起こしたこと・・・・・それは、
砂漠の民ベドウィンの言葉「砂漠」・・・・・すなわち
「バディア」とは
「始まりの場所」ということだった!

うーむ、
これには
さすがに、さすがに
参った、参った。

とにかく
何処まで
動きに
動いても
砂、砂、砂、砂、砂、砂、砂、砂、
そのような
砂ばかりの地を
砂漠の民は
なんと
「始まりの場所」
と名付けていたのだから!

ちなみに
数学者ゲーデルが
“The world in which we live is not the only one
in which we shall live or we have lived.”
と〈精密に・算・定〉したような
〈或る別世界〉での
始発の点とも大きくずれて
まさに
「バディア」・・・・・これこそが
裸形にして
無一物であるがゆえに
このうえもなく誇りの高い
始原のトポス、
〈在ること・の・零度〉においての
「始まりの場所」!

であろうから、
そのような場所に
地続きであり得る場所など、
今や、
すでに、
こちら(どちら?)の世界では
至るところで
ことごとく
崩れ落ちていて、
さらには
当代の卑しいコトバ「癒し」のための
なけなしの
〈終わりの場所〉さえ、
カフカの「皇帝の綸旨」の
宛先さながらに
何処とも知れない中空に
ふわり、ふわりと
浮いている
ようだわ、
わ、
わ。
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(註)カフカの短編「皇帝の綸旨」におけるメッセージは
飛脚がどれほど駆けに駆けてもその宛先には届かないようだ。

言葉Y先生、写真K

太田町4

仲間町21


2013年2月4日月曜日

田んぼの氷に

子どもの頃にパリパリと割ったことを思い出す
あの感触は冬にしか味わえない

八木田付近13

2013年2月3日日曜日

2013年2月2日土曜日

2013年2月1日金曜日