2012年3月23日金曜日

「やあ!」

メキシコの詩人オクタビオ・パスに
「夜明け」と題された作品がある
ーーーー「冷たくてすばやい手が
闇の包帯を
ひとつずつほどく
ぼくは眼をひらく
それでも
ぼくは生きている
まだ生々しい傷の
中心」ーーーー

まだ生々しい傷の中心!

それにひきかえ
すり傷の皮の剥け方まで下手くそなオデキの国で
おれたち(?)「腐敗の原料」どもが
御祖(みおや)直伝の金壺マナコで
不意の〈アレレ!〉の時にだけ
泡をくらって探しはじめる「遠〜いぃもの」たち・・・・たぶん
余りにも近くにあるため見えないものら
とのかかわりあいで
いったい何奴がその種の「原料」から
どの程度けち臭い距離を置けるであろうか?

これについての長楕円軌道的な云い方をしておくならば
川の流れに足を浸したヘラクレイトスか
樽のなかの哲学者ディオゲネスが
・・・・そして誰よりも安藤昌益が・・・・
自然が自然にそれとなく戻ったときに
「やあ!」と挨拶する

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(註)「腐敗の原料」:『カラマゾフの兄弟』のなかの「人間は腐敗の原料です」
というゾシマ長老の言葉。

言葉Y先生、写真K