この写真の警報を知る事もなく現実に投げ出された僕らが見たものは
写真と言葉
このブログFriend Fukushimaの全てである
今日から2年と1ヶ月前の14時46分
僕らの生活は一変した
沢山の人が亡くなり沢山の人が悲しみ怒り泣いた
その全ての人に僕らは気持ち一つで捧げようと思った
その全ての人は東北に、福島に、僕らの故郷にいた
僕らもその一人だった
このブログに関わった全ての人へ感謝したい
あの日々勇気づけてくれた人たちへ
「まだ伝えられる誰かがいる」
それは希望であったとともにFriend Fukushima発足のきっかけだった
ぼくらはまずあなた達に伝える事から始めた
このブログを偶然にも知って見てくれていた人たちへ
「誰かが見てくれている」
一方通行のこのブログ
アクセスカウンターの動きに僕らはいつも助けられていた
誰でもない僕らを発見するのは、誰でもないあなたを発見するのと同じである
それは僕らが伝えたかった一つでもある
そして様々な事情で離れる事になったkenjiたち
投稿という形で関わった一時のkenjiたち
このブログを広めるために尽力してくれた友人たち
僕も僕らも、良しとした時にFriend Fukushimaを再開しようじゃないか
その日は何時やってくるのかわからない
けれど「気持ち一つ」
また背負える日が来る事を願う
みんな一生懸命だった
今日までともに更新して来れた事をとても誇りに思う
ありがとう
次の更新があるまで
このブログのトップにはいつもこの写真が待っている
このブログを発見した人へ
この投稿から
僕らの歩いて来た日々と見て来たものを巡ってみて欲しい
それはたぶん特別な場合を除いて
今日のあなたの故郷と変わらなく愛しいものだから
福島も東北も傷の回復まではまだまだ長い
これからも宜しくお願いします
それでは
2年と1ヶ月
本当にありがとうございました
kenji一同