前々世紀
死因は不明・・・・亡骸も
行方不明のロートレアモン
彼にとっての美というやつは
(今さら引き合いに出すのには顔がほてるが)
解剖台のうえでのミシンと蝙蝠傘との
偶然の出会いであった
次いで前世紀
(此処も〈今さら〉ながらだけれど)
煤(すす)に汚れた夕暮れ時が
手術台のうえで麻酔にかけられた患者のように
空にむかって拡がっているという
いがらっぽい唄にごほごほ咳き込み
さらに今世紀
ジンルイそのものが
この地表での不治の皮膚病であることが
彼ら(すなわち俺たち)には
「響きと怒り」のますます高まってゆく渦に捲かれて
いよいよ見えづらくなるのであるか?
・・・・などと問いかけるふりをするまえに
まあ聴きたまえ
つねづねガタピシ据わりのわるい食卓のうえで
草臥れきった中年男アルフレッド・プルーフロックさんの
おっかなびっくり
抜き足差し足
遅疑逡巡の恋歌ふうにでも結構だから
俺たちは俺たちの一生を
コーヒーの匙で
一度でも測ったためしが果たしてあるのかね?
言葉Y先生、写真K
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(註)「響きと怒り」・・・・シェクスピア「リア王」のなかでの
人生の儚さと無意味を意味するセリフ。
米国作家ウィリアム・フォークナーに同題の作品在り。