2012年7月4日水曜日

Upon a table

前々世紀
死因は不明・・・・亡骸も
行方不明のロートレアモン
彼にとっての美というやつは
(今さら引き合いに出すのには顔がほてるが)
解剖台のうえでのミシンと蝙蝠傘との
偶然の出会いであった
次いで前世紀
(此処も〈今さら〉ながらだけれど)
煤(すす)に汚れた夕暮れ時が
手術台のうえで麻酔にかけられた患者のように
空にむかって拡がっているという
いがらっぽい唄にごほごほ咳き込み
さらに今世紀
ジンルイそのものが
この地表での不治の皮膚病であることが
彼ら(すなわち俺たち)には
「響きと怒り」のますます高まってゆく渦に捲かれて
いよいよ見えづらくなるのであるか?

・・・・などと問いかけるふりをするまえに
まあ聴きたまえ
つねづねガタピシ据わりのわるい食卓のうえで
草臥れきった中年男アルフレッド・プルーフロックさんの
おっかなびっくり
抜き足差し足
遅疑逡巡の恋歌ふうにでも結構だから
俺たちは俺たちの一生を
コーヒーの匙で
一度でも測ったためしが果たしてあるのかね?

言葉Y先生、写真K

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(註)「響きと怒り」・・・・シェクスピア「リア王」のなかでの
人生の儚さと無意味を意味するセリフ。
米国作家ウィリアム・フォークナーに同題の作品在り。