2011年12月5日月曜日

「鳥籠が鳥を?」

「鳥籠が鳥を探しに出かけた」
これはカフカのアフォリスム。

しかし、なに、なに?
「鳥籠が鳥を探しに出かけた」だって?

けっこう名の知れた専門学者のフトコロ深い解釈では、
それはか弱い鳥を守ってやるためであるらしい。

だが、
わっは、
「守ってやる」などとは
大きなお世話。

詩人ランボーさんなどは「自由」だけでは物足りなくて
「自由な自由」を目指していたし
「紐付きでない鳥たち」に憧れ続けていたではないか。

鳥は飛びたいときにウンコ垂れながらでも飛べてこそ鳥。

そこで畑違いの〈私(何者?)〉が
カフカの絶対的な速度に合わせて
説明的な言語をばっさり切り捨てて申すとするなら
このアフォリスムは
〈法〉というものが〈犯〉に対して
つねに貪婪に〈構成的〉であることを云っているのだ。

爾余の雑多なご意見はもうアホらしいので魚に説いてくれ。

言葉Y先生、写真K