「鳥籠が鳥を探しに出かけた」
これはカフカのアフォリスム。
しかし、なに、なに?
「鳥籠が鳥を探しに出かけた」だって?
けっこう名の知れた専門学者のフトコロ深い解釈では、
それはか弱い鳥を守ってやるためであるらしい。
だが、
わっは、
「守ってやる」などとは
大きなお世話。
詩人ランボーさんなどは「自由」だけでは物足りなくて
「自由な自由」を目指していたし
「紐付きでない鳥たち」に憧れ続けていたではないか。
鳥は飛びたいときにウンコ垂れながらでも飛べてこそ鳥。
そこで畑違いの〈私(何者?)〉が
カフカの絶対的な速度に合わせて
説明的な言語をばっさり切り捨てて申すとするなら
このアフォリスムは
〈法〉というものが〈犯〉に対して
つねに貪婪に〈構成的〉であることを云っているのだ。
爾余の雑多なご意見はもうアホらしいので魚に説いてくれ。
言葉Y先生、写真K